秋月荘(読み)あきづきのしょう

百科事典マイペディア 「秋月荘」の意味・わかりやすい解説

秋月荘【あきづきのしょう】

阿波国阿波郡内にあった荘園秋月郷の地に成立したとみられ,現徳島県阿波市の日開谷(ひがいだに)川付近から,阿波市土成(どなり)の九頭宇谷(くづうだに)川流域にかけての地域に比定される。鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子の御願寺法金剛院(ほうこんごういん)領で,待賢門院の死後上西門院後白河天皇宣陽門院へ伝えられ,承久の乱後一時鎌倉幕府に没収された後,鷹司院に還付され,後深草天皇へ渡り,以後持明院統に伝領された。鎌倉時代後期には足利氏地頭であった。1336年阿波国に入った足利氏の有力武将細川氏は,秋月に守護所を構え,以後勝瑞(しょうずい)に移るまで支配の拠点とした。なお南北朝期,紀伊国の住人愛洲憲俊が南朝方により地頭職に補任されているが,実効があったかどうかは疑問がある。秋月荘の3分の1は細川氏の本領として15世紀まで維持され,同氏の被官秋月氏が秋月城に拠った。

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改訂新版 世界大百科事典 「秋月荘」の意味・わかりやすい解説

秋月荘 (あきづきのしょう)

阿波国阿波郡(現徳島県阿波市,旧城町)の荘園。法金剛院(鳥羽天皇中宮待賢門院の御願寺)領の荘園。立券年次は不明。待賢門院から上西門院,宣陽門院をへて持明院統に伝領された。鎌倉後期には足利氏本宗のもつ荘園であったことが〈足利氏所領奉行番文〉から知られるが,おそらく足利氏は地頭としてこの荘園にかかわったのであろう。南北朝期に足利氏の一族の有力武将細川和氏が,この秋月に城をきずき足利氏の四国経営の拠点にするとともに,細川氏の阿波支配の根拠地とした。同じ南北朝の動乱の一時期,南朝側がこの荘の地頭に紀伊武田氏の一族愛洲(あいす)季俊やその子憲俊を補任しているが,実効のあるものではなく,1387年(元中4・嘉慶1)に細川頼之の弟頼有が嫡子にこの荘の3分の1を譲っているように,細川氏の所領としてひきつづき確保されていった。15世紀末の明応年間(1492-1501)を最後にこの荘園は姿を消す。
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世界大百科事典(旧版)内の秋月荘の言及

【不輸不入】より

…本田以外の出作が盛行するにともない,国司は検田使を入勘(入部)させて荘田の拡大を抑えようとしたから,検田使らの入勘は荘園領主と国司の紛争の原因となり,不入権が問題となるにいたった。992年(正暦3)筑前国筥崎(はこざき)宮塔院領秋月荘で〈公田不交〉ということで検田使の入勘が停止されたのはその早い例である。とくに11世紀中葉になると,臨時雑役(りんじぞうやく)が不輸租田にも課されるようになったため,その免除を求め荘園領主は四至(しし)を限った領域内全体の不輸不入化を目ざした。…

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