秋田派(読み)あきたは

精選版 日本国語大辞典 「秋田派」の意味・読み・例文・類語

あきた‐は【秋田派】

〘名〙 秋田地方で生まれた洋風画派。安永二年(一七七三)秋田藩主、佐竹義敦(曙山)に招かれた平賀源内が、秋田藩士小田野直武に洋画技法を伝えたことに始まる。中国の写生派の作風に西欧技法を混入したもの。日本の洋画の先駆的画法であるが、江戸末期に滅びた。

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百科事典マイペディア 「秋田派」の意味・わかりやすい解説

秋田派【あきたは】

江戸後期,秋田地方に興った洋風画派。秋田蘭画とも。1773年,阿仁銅山開発のため,秋田藩主佐竹曙山(しょざん)に招かれた平賀源内が,角館で城主佐竹義躬とその家臣小田野直武に西洋画法を伝授,さらに直武が江戸で曙山に伝えて,秋田派が形成された。沈銓(ちんせん)の中国写生画風基底とし,洋書のさし絵や銅版画の技法が混入した独特の画風。ほかに荻津勝孝〔1746-1809〕,田代忠国〔1757-1830〕らがいる。
→関連項目秋田県立近代美術館

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋田派」の意味・わかりやすい解説

秋田派
あきたは

秋田蘭画」のページをご覧ください。

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