秦檜(読み)しんかい(英語表記)Qín Huì

精選版 日本国語大辞典 「秦檜」の意味・読み・例文・類語

しん‐かい ‥クヮイ【秦檜】

中国南宋時代の政治家。字(あざな)は会之。諡(おくりな)は忠献、または繆醜。江蘇省南京の人。金の侵入後金国に三年間抑留されたが、帰国して宰相になり、紹興一二年(一一四二領土を割譲して金と和議を結んだ。彼のために獄死した岳飛将軍が救国英雄として尊ばれたのに反し、姦臣・売国奴として、後世評価が悪い。(一〇九〇‐一一五五

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デジタル大辞泉 「秦檜」の意味・読み・例文・類語

しん‐かい〔‐クワイ〕【秦檜】

[1090~1155]中国、南宋の政治家。あざなは会之。江寧(江蘇省)の人。高宗に仕え、岳飛を獄死させてと和議を結んだ。政権維持のため言論弾圧し、後世、奸臣かんしん典型とされる。

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改訂新版 世界大百科事典 「秦檜」の意味・わかりやすい解説

秦檜 (しんかい)
Qín Huì
生没年:1090-1155

中国,南宋初期の政治家。字は会之。江寧(南京)の人。1123年(宣和5)科挙の最難関,博学宏詞科に合格し,北宋神宗期の宰相王珪の孫娘と結婚し,出世コースを歩んだ。靖康の変の時,金の傀儡(かいらい)政権(楚)樹立計画に反対したため,宋の皇族らと共に金に強制連行された。30年(建炎4)金の将軍,撻懶(たつらん)の了解の下に,夫人を伴い帰国した。37年(紹興7)撻懶が金の権力を握り,傀儡政権,斉(劉予)を取り潰したことは秦檜の出番を意味した。彼は1127年(建炎1)以来,南北(宋・金)の均衡的共存関係の樹立を構想していたからである。また高宗は37年の父徽宗の死亡告知を契機に,和議によって柩の返還と母皇太后の生還を強く願うようになった。両者は連合し,38年末に多くの強い反対論をおさえ宋金平和条約を締結した。これは金の政変により破棄されたが,41年に第2次条約が結ばれ,宋金関係は安定した。同時に秦檜らは懸案であった軍事全権の皇帝帰属を一気に実現させ,さらに42-50年,南宋全土の土地測量事業(経界法)を実施し,戦乱で破壊された支配機構を整え,南宋政権の基礎を固めた。国勢に見あった宋金関係を構想し,実現に全力を尽くした点はすぐれたところである。他方宦官,外戚,名門層と結び18年間も宰相として権勢をほしいままにし,岳飛ら政敵を徹底的に迫害したのは暗い側面である。死後は中華思想,民族主義の立場から,民族の気節を失った売国奴と規定され,評価はよくない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「秦檜」の意味・わかりやすい解説

秦檜
しんかい
(1090―1155)

中国、宋(そう)の政治家。字(あざな)は会之。江蘇(こうそ)省南京(ナンキン)の人。宋代の科挙の最難関であった詞学兼茂(しがくけんも)科に合格。宰相王珪(おうけい)の孫娘を妻とした彼は、資格、閨閥(けいばつ)ともに官僚の経歴として際だっていた。1126年に連行された金国での経験を買われ、帰国後31年から32年、38年から55年の両次に宰相に就任。戦いを嫌った南宋初代の高宗の意を受けて、42年に金国との和議を成立させた。淮河(わいが)以北を金国に割譲する形でのこの和議は、当時の南宋の実力からみて相応のものであったといえる。しかし、そのための武力の規制や言論の弾圧が人事の専断とともに反対派を刺激し、加えて民族意識の高揚が死後の評価を悪くさせ、姦臣(かんしん)、売国奴の烙印(らくいん)を押された。

[山内正博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秦檜」の意味・わかりやすい解説

秦檜
しんかい
Qin Hui; Ch`in Kuei

[生]元祐5(1090).江寧
[没]紹興25(1155).10.22. 臨安
中国,南宋の政治家。江寧 (江蘇省南京) の人。字は会之。政和5 (1115) 年進士合格。哲宗朝の宰相王珪の孫娘と結婚。有能な官吏として,靖康1 (26) 年御史中丞に栄進。翌年徽宗らとともに軍に捕えられ,建炎4 (30) 年帰国。南宋の高宗の寵を受け,翌年宰相となり和平論を唱えた。反対派のため一時失脚したが,紹興8 (38) 年再び宰相となり,同 12年主戦論を押えて金との間に和議を結んだ。以後 19年間宰相に在任し,一族の繁栄をはかったので不評を買った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「秦檜」の解説

秦檜(しんかい)
Qing Hui

1090~1155

南宋初期の宰相靖康(せいこう)の変に拉致(らち)され,帰国後の1142年,主戦派を抑えて宋・金和議を成立させた。以後岳飛(がくひ)ら反対派を抑圧したので,のち姦臣(かんしん)の烙印(らくいん)を押された。

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百科事典マイペディア 「秦檜」の意味・わかりやすい解説

秦檜【しんかい】

中国,南宋初期の宰相。1127年金軍に捕らえられたが,やがて放還され,南宋の朝廷で高宗の信任を得,主戦派の岳飛らをおさえて金との和平を図った。1141年和議が成立したが,宋帝は〈臣〉と称する屈辱の和約であった。後世には姦臣(かんしん)の代表とされる。

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