…朝日放送)は,公開録画による藤田まこと,白木みのるの凸凹コンビの〈道中記〉で,その時どきの人気タレントやコメディアン,売れっ子の歌手をゲスト出演させるというフォーマットは,ブラウン管時代の軽演劇の好例といっていい。一方,劇場では55年に入って,ドイツ文学者でまたコント作家でもあった秦豊吉(1892‐1956)が実現した〈帝劇ミュージカルス〉によって,戦前の〈東宝劇団〉〈ロッパ一座〉,戦後の〈ムーラン・ルージュ〉などの長い下積みを経た森繁久弥が脚光を浴びた。56年にはさらに東京宝塚(東宝)劇場が,占領軍の接収解除によって活動を再開,東宝重役となった菊田一夫によって大劇場形式のミュージカルが提唱され,エノケン,ロッパ,トニー谷(1917‐87),三木のり平(1923‐ ),有島一郎,越路吹雪(1924‐80),宮城まり子(1929‐ )ら,戦前派・戦後派のタレントが活躍の場を得た。…
…自由民権思想との関連でレッシングの劇作品や宗教論なども早くから翻訳紹介され,ドイツ文学の啓蒙主義的系譜もかなり日本に導入されていたが,国家主義的イデオロギーが強まるにつれて,それらは圧殺されていった。なお,1920年代には秦豊吉らによって表現主義の戯曲が数多く翻訳紹介され,新劇運動を刺激したことも忘れられてはならない。 日本におけるドイツ文学研究は,19世紀末以降のドイツの学界の動向を反映し,ゲーテを中心とする国民文学成立の時期に重点を置くことによって,規範の大枠が設定されてきた。…
…ただし,戦後の宝塚歌劇は,女性のみの出演によるという制約はあるものの,ブロードウェー・ミュージカルを数多く紹介している。戦後の創作ミュージカルでは,帝劇で秦豊吉(はたとよきち)(1892‐1956)の企画によって上演された《モルガンお雪》(1951)が最初である。その後多くの作品が発表されているが,まだ水準は低い。…
※「秦豊吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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