移動展派(読み)いどうてんは(英語表記)Peredvizhniki[ロシア]

改訂新版 世界大百科事典 「移動展派」の意味・わかりやすい解説

移動展派 (いどうてんは)
Peredvizhniki[ロシア]

ロシア帝政時代,アカデミズムに抗した画家たちによって結成された団体。1870年ミャソエドフの提唱を支持したクラムスコイペローフ,ゲーNikolai Nikolaevich Ge(1831-94)らは,〈移動展覧会協会〉を設立。展覧会の開催地を固定せず,特権階級のものであった芸術を移動展方式で一般民衆に近づけた。ベリンスキーやチェルヌイシェフスキーらの思想を背景に,1860年代に興った〈人民の中へv narod〉を合言葉とするナロードニキ運動と呼応するもので,絵画を通じ民衆の啓蒙を目ざした。アカデミックな古典主義から解放された結果,80年代には民族的特色が伸展し社会的に意義ある作品が生まれた。技法や思想的統一のない団体で,風俗風刺のペローフ,ロシアの風景に愛情を注ぐレビタンIsaak Il'ich Levitan(1860-1900),歴史画のレーピンスリコフのような多彩な画家数十名から成るが,多くは農奴層出身者であった。批評家スターソフVladimir Vasil'evich Stasov(1824-1906),収集家のトレチヤコフPavel Mikhailovich Tret'yakov(1832-98)らが,移動展派の強力な支持者であった。93年レーピンほか数名の所属員がアカデミー教授に迎えられたため,活動は自然消滅するが,なかには20世紀まで制作し,主張し続けた画家もあった。革命後の一時期再開され,通算48回の展覧会が催された。
ロシア・ソビエト美術
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「移動展派」の意味・わかりやすい解説

移動展派
いどうてんは
Peredvizhniki

帝政ロシア末期の美術団体。1863年,アカデミズムに反逆して美術アカデミーを脱退した若い芸術家 14人が,イワン・N.クラムスコイを中心に集まり,1870年に「移動美術展協会」を組織したのに始まる。各地方都市で巡回展覧会を開催し,芸術の普及,民衆との接触を目指した。西ヨーロッパへの追随よりもロシア的現実の直視理念として歴史,風俗,風景を描いたが,1890年代の反動期に衰退解消した。ワシーリー・G.ペローフ,グリゴリー・G.ミャソエドフ,クラムスコイらが創設者。イリヤ・E.レーピン,ワシーリー・I.スリコフ,イワン・K.アイバゾフスキーなど,帝政末期の主要な画家の大半がこれに属する。(→ロシア美術

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世界大百科事典(旧版)内の移動展派の言及

【ロシア・ソビエト美術】より

… ロシアの美術史の中で,驚くべき飛躍をとげたのは,19世紀の絵画である。18世紀以来,わずか1世紀の間に西欧の美術の水準に達したばかりでなく,移動展派のように,絵画を媒体として民衆を啓蒙する運動を展開するほどのエネルギーをもった画家グループが登場した。とくに革命寸前には,先鋭的な前衛諸派が乱立し,美術界はその極に達していた。…

※「移動展派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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