竹内久盛(読み)たけのうち・ひさもり

朝日日本歴史人物事典 「竹内久盛」の解説

竹内久盛

没年文禄4.6.30(1595.8.5)
生年文亀3(1503)
戦国安土桃山時代の武術家。竹内流腰廻 りの開祖。美作国(岡山県)垪和村の人で,豪族・杉山為就の子。のち竹内為長の養子となり,西垪和一ノ瀬に新城を築いて1万3000石を領した。天文1(1532)年6月同地の三の宮で修行中に,山伏より小刀を使っての小具足術と早縄術を伝授された。のちに腰廻りと称されたこの術は,捕手を中心に棒,拳,縄,短剣なども併用した総合武術で,柔術の最も初期のものといえる。天正期に宇喜多直家と戦って敗れ,晩年は稲荷山城主原田弥右衛門家に扶養され,93歳で没した。<参考文献>今村嘉雄他編『日本武道大系』6巻

(藤堂良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内久盛」の解説

竹内久盛 たけのうち-ひさもり

1503-1595 戦国-織豊時代の武術家。
文亀(ぶんき)3年生まれ。美作(みまさか)(岡山県)一之瀬城主。天文(てんぶん)元年垪和(はが)三宮の山中で修行し,霊験をえて捕手(とりて),腰廻(こしのまわり)の技を中心とする竹内流を創始した。のち宇喜多直家に城を攻略され,晩年は稲荷山城の原田氏のもとに身をよせた。文禄(ぶんろく)4年6月30日死去。93歳。通称は中務大夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android