竹原塩田(読み)たけはらえんでん

日本歴史地名大系 「竹原塩田」の解説

竹原塩田
たけはらえんでん

[現在地名]竹原市竹原町

下市しもいち村では正保三年(一六四六)二月から翌年にかけ、賀茂郡代官鈴木四郎右衛門の主導下に、藩内全域から人夫を動員して大新開おおしんがいを干拓した。しかし沖口は土地が低く、塩気があって耕作に適さなかったため、一部を塩田に改めることになった。播州赤穂あこう(現兵庫県赤穂市)から二人の技術者を招いて塩浜一軒を試作。これが成功し良質の塩を得ることができたので慶安三年(一六五〇)沖口沿いに三一軒を築造。慶安の古浜とよばれる。この塩浜が予想外の利潤をあげたため、下市村の豪農や商人はもちろん、藩内各地や遠く広島城下の商人までが塩浜経営を希望し、承応元年(一六五二)新開の中に新浜六七軒を増築、計九八軒となった。

その後、分け浜(塩浜の統廃合)が行われ、寛文四年(一六六四)には八五軒、当時の塩浜高は一一四六・二二一石、面積六〇町九反五畝一二歩(元禄三年塩浜開起之縁起、元禄六年竹原下市一邑志「竹原市史」所収)。小浜に比べて大浜が有利であったため、その後も分け浜が進行、竹原市立図書館蔵の塩浜関係史料によると享保一〇年(一七二五)には七二軒、安永九年(一七八〇)には五三軒となっている。その後、天保四年(一八三三)七軒前・一三町七反一畝の新浜が築調されている。

この竹原塩田は、芸備地方での最初の入浜塩田というばかりでなく、入浜技術の伝播の面からも中部瀬戸内塩田の源流をなし、備後松永まつなが(現福山市)・同とみ(現御調郡向島町)はもとより、伊予波止はし(現愛媛県今治市)多喜たき(現愛媛県新居浜市)などの開発にも、竹原塩田の技術が直接・間接に導入されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「竹原塩田」の意味・わかりやすい解説

竹原塩田 (たけはらえんでん)

江戸時代,現在の広島県竹原市につくられた入浜塩田。安芸国賀茂郡竹原下市(しもいち)村では1646年(正保3)2月から翌年にかけ,郡代官鈴木四郎右衛門主導下に大新開(おおしんがい)が干拓されたが,その一部を塩田に改築することになり,播州赤穂から2人の技術者を招いて塩浜1軒を試作した。これが成功したので50年(慶安3)大新開の沖口沿いに31軒を築造し(慶安の古浜と呼ばれる),さらに52年(承応1)あらたに新開の中に新浜67軒を増築,98軒となった。塩田面積60町9反5畝12歩である。その後,分け浜(塩浜の統廃合)が行われ1725年(享保10)に72軒,80年(安永9)に53軒となった。1833年(天保4)には7軒,面積13町7反の新浜が築調されている。なお備後松永塩田,同富浜塩田,伊予波止浜(はしはま)塩田等の開発に際して,竹原塩田の技術が導入されている。

 竹原塩田に石炭焚きが導入されるのは1805年(文化2)であるが,従来から竹原塩田へ薪・松葉を供給していた背後地農村の反対にあって切替えがスムーズに行われず,全面的に切り替わるのは18年(文政1)で,しかもその代償として39年まで竹原塩田から背後地農村へ補償銀が支払われた。また,竹原塩田では1759年(宝暦9)上層浜子の指導のもとに銀27匁の賃上げを要求した塩田騒動がおこり,さらに1827年には下層浜子のみによって20日間の職場放棄武器に賃銀闘争が計画された。竹原塩田における塩の生産高は,18世紀の初頭から10年代ごろは5斗俵で25万俵から28万俵に達し,その販売代銀も1000貫を超えたが,塩浜が不況になってくる18世紀中ごろには17万俵から16万俵に落ち込んでくる。竹原塩の販売先は北国と東海・江戸方面で,北国筋では竹原塩の陸揚げされる港は20ヵ港に及び,そこからさらに信州松代等内陸部に輸送された。
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百科事典マイペディア 「竹原塩田」の意味・わかりやすい解説

竹原塩田【たけはらえんでん】

江戸時代,安芸(あき)国竹原(現広島県竹原市)に造られた入浜(いりはま)塩田。1646年から干拓された大新開(おおしんがい)の一部が塩田に充てられ,赤穂(あこう)から技術者を招いて塩浜を試作した。1650年・1652年と造成を続け,塩田面積は60町9反余にのぼった。さらに1725年・1780年・1833年と新浜が造られていき,18世紀初めには25〜28万俵(5斗(と)俵)を産し,販売代銀は1000貫を超えた。この間,1759年上層浜子(はまこ)の指導で賃上げを要求した塩田騒動が起き,1827年には下層浜子が20間にわたる塩焼き放棄をもって賃上げ要求を計画している。薪などを供給していた諸村の反対で遅れていた石炭焚きの導入は1818年に全面的に切り替えられた。当地の技術は備後(びんご)国・伊予(いよ)国などの塩田開発に際して導入された。

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