竹原(読み)タケハラ

デジタル大辞泉 「竹原」の意味・読み・例文・類語

たけはら【竹原】

広島県中南部、瀬戸内海に面する市。江戸時代塩田海運で栄えた。精錬所、火力発電所がある。頼山陽ゆかりの旧宅がある。人口2.9万(2010)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「竹原」の意味・読み・例文・類語

たけ‐はら【竹原】

[1] 〘名〙 竹がいちめんに生い茂っている原。たかはら。たけわら。
※俳諧・寛政句帖‐六年(1794)「竹原や余処の白雨に風騒ぐ」
[2] 広島県中南部の地名。瀬戸内海に面する。慶安三年(一六五〇)塩田が開かれてから繁栄。現在も江戸時代からの町並が残る。在来酒造業ほかに、食品・金属などの各種工業が行なわれる。頼山陽の生地。昭和三三年(一九五八市制

たか‐はら【竹原】

〘名〙 (「たかわら」とも) 竹の林。たかばやし。たけはら
書紀(720)神代下(鴨脚本訓)「其の棄てし竹刀、終に竹林(タカハラ)に成る」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「竹原」の意味・わかりやすい解説

竹原[市] (たけはら)

広島県中部,瀬戸内海に面し,大久野島,阿波島などを含む。1958年に竹原町と忠海町が合体,市制。人口2万8644(2010)。市域大部分は標高300~500mの中起伏山地で,中央を南流する賀茂川下流の小平地に古い市街地がある。平安時代には荘園竹原荘が成立,鎌倉期以降は竹原小早川氏の本拠であった。江戸時代は広島藩領で,大規模な入浜塩田が経営され,また藩の年貢米を集積大坂へ回送する港として発展した。それを背景に頼春水,山陽父子など多くの文人,学者が輩出,竹原文化を開花させた。当時の名残をとどめる上市,下市は重要伝統的建造物群保存地区となっている。酒造,煉瓦製造などの地場産業も多いが,近代工業は三井金属鉱業竹原製錬所と電源開発竹原火力発電所のみである。従来は幹線交通からはずれ商業の近代化や流通基盤の整備が遅れていたが,近年,市域北方の三原市の旧本郷町に広島空港,東広島市の旧河内町に山陽自動車道のインターチェンジが開設,市域全体も広島中央テクノポリス地域に指定されるなど,新しい企業立地も期待されている。風光明媚な瀬戸内海の自然と古い伝統文化に調和した産業の育成をめざしている。JR呉線,国道2号,185号,482号が通じている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の竹原の言及

【竹原塩田】より

…江戸時代,現在の広島県竹原市につくられた入浜塩田。安芸国賀茂郡竹原下市(しもいち)村では1646年(正保3)2月から翌年にかけ,郡代官鈴木四郎右衛門主導下に大新開(おおしんがい)が干拓されたが,その一部を塩田に改築することになり,播州赤穂から2人の技術者を招いて塩浜1軒を試作した。…

※「竹原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android