朝日日本歴史人物事典 「竹本政太夫(2代)」の解説
竹本政太夫(2代)
生年:宝永7(1710)
江戸中期の義太夫節の太夫。本名薩摩屋重(十)兵衛。大坂雑喉場で魚屋を営み,のちに新町西口にも住んだので,雑喉場政太夫,西口政太夫とも呼ばれた。竹本播磨少掾門下だが初出座は34歳と遅く,寛保3(1743)年竹本座。師匠そっくりの芸で評判となる。翌延享1(1744)年の播磨少掾没後は竹本座の二段目切語りとなった。寛延1(1748)年のいわゆる「忠臣蔵騒動」で此太夫が豊竹座へ移籍したのちの宝暦期(18世紀中ごろ)竹本座で中心的存在である三段目切語りとして活躍した。師の七回忌,十三回忌,十七回忌の追善興行も政太夫によって催された。師の芸風をよく伝えたうえに,恵まれた素質を生かした技巧的な芸風といわれている。
(桜井弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報