朝日日本歴史人物事典 「竹本春太夫(初代)」の解説
竹本春太夫(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節の太夫。泉州堺(堺市)の人で,通称粉屋与兵衛。竹本大和掾の門弟。初めは豊竹姓で,延享1(1744)年に人形浄瑠璃豊竹座出座。寛延年間(1748~51)には竹本座に転じる。江戸に下ったこともある。宝暦2(1752)年,帰坂して竹本姓で竹本座に出勤。明和8(1771)年の「妹背山婦女庭訓」の「妹山の段」の掛合,「金殿の段」で大当たり。安永7(1778)年に引退。師の芸風を受け継ぎ,「いつきいてもはんなりとした蘭奢待」(『闇の礫』)といわれ,美声で色の語り分けや運びに特色を示し,上記の「妹山の段」と「金殿の段」に今もその芸風が伝わる。
(高木浩志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報