竹沢 弥七(9代目)(読み)タケザワ ヤシチ

20世紀日本人名事典 「竹沢 弥七(9代目)」の解説

竹沢 弥七(9代目)
タケザワ ヤシチ

明治〜昭和期の人形浄瑠璃三味線方



生年
慶応4年8月14日(1868年)

没年
昭和26(1951)年3月16日

出生地
京都府

本名
平岡 勝次郎

別名
前名=宗之助,弥造,竹沢 団六(タケザワ ダンロク),竹沢 宗六(タケザワ ソウロク),後名=竹沢 藤四郎(3代目)(タケザワ トウシロウ)

経歴
明治9年竹沢宗六(のち8代目竹沢新七)に入門し、人形浄瑠璃三味線方として主に京都の素人稽古などで活躍。宗之助・弥造・5代目団六・5代目宗六と改名したのを経て大正9年9代目弥七を襲名。10年豊竹座の閉場を機に引退するが、昭和22年には3代目竹沢藤四郎の名で復帰し、文楽座に出演した。柔らかい音色を奏でることで定評があった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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