笑福亭松鶴(読み)ショウフクテイショカク

デジタル大辞泉 「笑福亭松鶴」の意味・読み・例文・類語

しょうふくてい‐しょかく〔セウフクテイ‐〕【笑福亭松鶴】

落語家
(5世)[1884~1950]大阪の生まれ。本名、竹内梅之助。上方落語保存復興に努めた。漫才人気に対抗して、雑誌上方はなし」を刊行
(6世)[1918~1986]大阪の生まれ。本名、竹内日出男。の子。上方落語の復興に尽力、現在の隆盛に導いた。当たり芸に「らくだ」「天王寺詣り」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「笑福亭松鶴」の意味・わかりやすい解説

笑福亭松鶴
しょうふくていしょかく

大阪の落語家。

初代

(?―1865)初め松喬といったが、のち松鶴と改名

[関山和夫]

2代

生没年不明。初代門人。鶴松、4代吾竹(ごちく)から2代目を襲名したが、のち円笑と改名して講釈師となる。

[関山和夫]

3代

(1845―1909)本名武田亀太郎。2代立川三光門、桂(かつら)慶治門、2代円笑門と移り、松橋、木鶴を経て3代松鶴となったが、のち竹山人と名のって講釈師となる。

[関山和夫]

4代

(1869―1942)本名森村米吉。3代門人。三代松(みよまつ)、松竹、万歳、桂枝鶴(しかく)を経て1907年(明治40)4代目襲名。

[関山和夫]

5代

(1884―1950)本名竹内梅之助。4代門人。光鶴、枝鶴から1935年(昭和10)5代目襲名。自宅に「楽語荘(らくごそう)」をつくり、雑誌『上方(かみがた)はなし』を発行。上方落語継承に貢献した。

[関山和夫]

6代

(1918―86)本名竹内日出男。5代の長男。松之助、光鶴、枝鶴を経て1962年(昭和37)6代目襲名。『高津(こうづ)の富』『三十石(さんじっこく)』『らくだ』などが得意。

 なお7代目を襲名することになっていた笑福亭松葉(本名倉本雅生(まさたか))(1952―96)は、襲名披露を予定していた当日に死亡した。

[関山和夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「笑福亭松鶴」の意味・わかりやすい解説

笑福亭松鶴 (しょうふくていしょかく)

落語家の芸名。(1)初代(?-1865(慶応1)) 初代桂文枝,4代桂文治とともに林家派に対抗して上方落語界を盛りあげる。(2)2代(生没年不詳) 初代門下。4代吾竹(ごちく)を経て襲名。のち講談師円笑(えんしよう)となる。(3)3代(1845-1909・弘化2-明治42) 本名武田亀太郎。2代門下。のち講談師笑福亭竹山人となる。(4)4代(1869-1942・明治2-昭和17) 本名森村米吉。3代門下。のち2代文枝の預け弟子となり,枝鶴を経て襲名。(5)5代(1884-1950・明治17-昭和25) 本名竹内梅之助。5代襲名後,漫才に圧倒される上方落語を保持すべく,自宅を〈楽語荘(らくごそう)〉と名づけて落語研究会を結成,また〈上方はなしをきく会〉を主宰し,月刊落語雑誌《上方はなし》を第49集まで発行するなど,第2次世界大戦中および戦後の上方落語界に貴重な足跡を残した。(6)6代(1918-86・大正7-昭和61) 本名竹内日出男。5代の長男。豪放な芸風で,もっとも上方的な落語の味わいをもつ。《らくだ》《三十石》を得意とした。
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百科事典マイペディア 「笑福亭松鶴」の意味・わかりやすい解説

笑福亭松鶴【しょうふくていしょかく】

大阪の落語家。5代〔1884-1950〕は本名竹内梅之助。大阪府生れ。1935年襲名。漫才に押され気味の上方落語の維持に努め,自宅を〈楽語荘(らくごそう)〉と名づけて落語研究会を結成し,雑誌《上方はなし》を刊行した。6代〔1918-1986〕は5代の長男。本名竹内日出男。1946年落語界に入り,1962年襲名。豪放な芸風で,《天王寺詣り》《三十石》《らくだ》などで上方噺(ばなし)の味わいを伝えた。

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