世界大百科事典(旧版)内の笠原方巌の言及
【煎茶道】より
…大窪詩仏,亀田鵬斎,柏木如亭らが,雲泉の煎茶交遊の仲間であった。さらに各地に売茶翁の2世,3世を自称する者も多く現れ,なかでも有名なのが〈八橋売茶〉の名で知られる笠原方巌(1760‐1828)である。在原業平の故地三河国八橋の無量寿寺を再興,その住職となって終えるが,その間煎茶の普及につとめた。…
※「笠原方巌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…大窪詩仏,亀田鵬斎,柏木如亭らが,雲泉の煎茶交遊の仲間であった。さらに各地に売茶翁の2世,3世を自称する者も多く現れ,なかでも有名なのが〈八橋売茶〉の名で知られる笠原方巌(1760‐1828)である。在原業平の故地三河国八橋の無量寿寺を再興,その住職となって終えるが,その間煎茶の普及につとめた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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