筑後(読み)チクゴ

デジタル大辞泉 「筑後」の意味・読み・例文・類語

ちくご【筑後】

福岡県南西部の市。筑紫つくし平野南部にあり、中心羽犬塚はいぬづかはもと肥後街道の宿場町。筑後梨・花むしろの産地。人口4.9万(2010)。
旧国名の一。現在の福岡県南部にあたる。古くは筑紫つくし一部

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精選版 日本国語大辞典 「筑後」の意味・読み・例文・類語

ちくご【筑後】

[一] 西海道一一か国の一つ。文武天皇二年(六九八筑紫国から分かれて一国となる。鎌倉時代は大友・少弐氏らが守護。南北朝時代は今川氏、室町時代は大友氏が支配。江戸時代は久留米・柳川・三池の三藩が分立。明治四年(一八七一)の廃藩置県で久留米・柳川・三池の三県となり、三瀦(みずま)県を経て、同九年福岡県の一部となる。古称、筑紫後(つくしのみちのしり)
[二] 福岡県南部の地名筑後平野の南部を占める。中心の羽犬塚(はいぬづか)はもと肥後街道の宿場町。米、茶、果樹栽培などのほかに、イグサ栽培も盛んで、畳表・花莚(はなむしろ)を生産。また、久留米絣(がすり)特産。昭和二九年(一九五四市制

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改訂新版 世界大百科事典 「筑後」の意味・わかりやすい解説

筑後[市] (ちくご)

福岡県南部の市。1954年市制。人口4万8512(2010)。筑紫(つくし)平野の南東部を占め,北は久留米市に接する。市域の大部分は有明海に注ぐ矢部川の沖積扇状地と低い洪積台地とからなり,西端部は低湿なクリーク地帯である。中心の羽犬塚(はいぬづか)は近世,小倉から薩摩へ向かう街道の宿場町・市場町として発達し,現在はJR鹿児島本線および国道209号,442号線が通り,八女地方への玄関口ともなっている。2011年の九州新幹線鹿児島ルートの全線開通に伴い,鹿児島本線船小屋駅が筑後船小屋駅と改称して新幹線駅となる。集約的で多角的な農業と多彩な副業的伝統工業の盛んな南筑(筑後南部)農村地帯の一中心地で,国立九州農業試験場(現,独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構の九州沖縄農業研究センター筑後研究拠点)があり,また食料品,繊維,電機,機械その他の工業も発達している。広い農村部では,北部の洪積台地に茶畑や果樹園(ブドウ,ナシ)が広がり,クリーク地帯では米作およびイグサの栽培・加工(花むしろ,ござ)が行われる。特産品に久留米絣,手すき和紙,赤坂焼がある。毎年8月25日に行われる千灯明(せんとうみよう)や10月25日の稚児風流(ちごふりゆう)で知られる水田天満宮,船小屋温泉などがある。
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世界大百科事典(旧版)内の筑後の言及

【福岡[県]】より

…現在も福岡市を中心に,九州の政治・経済・文化の中枢の位置を占めている。
[沿革]
 県域はかつての筑前・筑後両国全域,および豊前国の北半部にあたる。江戸時代末期,筑前には福岡藩と支藩の秋月藩,筑後には久留米藩柳河藩,豊前には小倉藩(1866年長州征伐の際,藩庁を移し香春(かわら)藩,69年豊津藩と改称)と支藩の小倉新田藩(1869年千束(ちづか)藩と改称)が置かれ,そのほか飛地,天領,預地もあった。…

※「筑後」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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