箕作元八(読み)ミツクリゲンパチ

デジタル大辞泉 「箕作元八」の意味・読み・例文・類語

みつくり‐げんぱち【箕作元八】

[1862~1919]歴史学者。岡山の生まれ。菊池大麓だいろくの弟。動物学を修めたが、のち歴史学に転じ、西洋史研究。東大教授。著「西洋史講話」「フランス大革命史」。

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精選版 日本国語大辞典 「箕作元八」の意味・読み・例文・類語

みつくり‐げんぱち【箕作元八】

西洋史学者。岡山県出身。秋坪の四男。菊池大麓の弟。東京帝大理科大学で動物学を学び、ドイツ留学したが、強度の近視眼のため歴史学に転じた。著に「仏蘭西大革命史」など。文久二~大正八年(一八六二‐一九一九

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改訂新版 世界大百科事典 「箕作元八」の意味・わかりやすい解説

箕作元八 (みつくりげんぱち)
生没年:1862-1919(文久2-大正8)

日本の西洋史学の開拓者。箕作秋坪の四男として生まれる。東京帝国大学理科大学を卒業し,1886年ドイツに留学し,当初,動物学を学んだが,強度の近視のため史学に転じ,H.vonトライチュケ,L.vonランケに学ぶ。92年帰国し,一高の教師となるが,1900年フランスに留学,おもに革命史を研究する。02年帰国し,東大文科の西洋史教授となる。その著書《西洋史講話》全2巻(1910)は,日本最初の西洋史概説の体系書である。古代エジプトから20世紀初めまでの西洋史を,基本的史実を踏まえ,しかも,当時の西洋における学問水準を反映させて記述している点に特徴がある。また,《仏蘭西大革命史》全2巻(1919-20)は,留学中の研究成果であり,大学での講義録を整理・出版したものである。ルイ16世の即位から総裁政治の成立にいたるまでの,政治史を中心としたものであるが,人物描写に優れている。日本最初の学問的革命史としての意義は大きい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「箕作元八」の意味・わかりやすい解説

箕作元八
みつくりげんぱち
(1862―1919)

明治・大正時代の歴史学者。蘭学(らんがく)者秋坪(しゅうへい)の四男。津山藩医で蘭学者の阮甫(げんぽ)の末孫。数学者で東京帝国大学総長、のち文部大臣となった菊池大麓(だいろく)の弟にあたる。文久(ぶんきゅう)2年5月29日、美作(みまさか)国(岡山県)津山に生まれる。動物学を志して東京大学に入り、理学部動物学科、同大学院を出て、1886年(明治19)ドイツのフライブルク大学自費留学したが、近視のため歴史学に転向チュービンゲン大学その他で西洋史学を研究、同大学で91年学位をとって翌年帰国。高等師範、一高の教授、東京帝国大学講師となり、99年より2年間のドイツ・フランス留学ののち、同大学教授、1903年(明治36)文学博士となる。著書に『西洋史講話』『世界大戦史』『仏蘭西(フランス)大革命史』などがある。大正8年8月9日東京で死去。

[金井 圓]

『井手文子・柴田三千雄編『箕作元八・滞欧「箙梅日記」』(1984・東京大学出版会)』

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朝日日本歴史人物事典 「箕作元八」の解説

箕作元八

没年:大正8.8.9(1919)
生年:文久2.5.29(1862.6.26)
明治大正期に近代歴史学としての西洋史研究の体系と方法を確立した先駆的研究者。5月25日誕生説もある。美作(岡山県)津山出身の洋学者箕作秋坪(幕府外国奉行翻訳方)とつねの4男。兄たちもみな学者であった。東京大学で動物学を学び,大学院時代にドイツに留学,強度の近眼のため専攻を歴史学研究に改め,ランケ最晩年の学風を学んだ。フランス革命史を中心に研究し,チュービンゲン大学で学位を受けた。明治25(1892)年帰国,高等師範学校教授兼帝国大学講師として講義を行い,32年再度ドイツ,フランスに留学して,フランス革命史中心の実証的研究を深め,34年に帰国,東京帝国大学教授として,西洋史学科の講座を確立し,また文部省の高校以下の教授要目の充実にも尽くした。<著作>『西洋史講話』『フランス大革命史』前後編『ナポレオン時代史』『南亭史説話』

(松島榮一)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「箕作元八」の意味・わかりやすい解説

箕作元八
みつくりげんぱち

[生]文久2(1862).5.29. 美作
[没]1919.8.9. 東京
明治の史学者。西洋史学の開拓者。蘭学者箕作秋坪の4男。東京外国語学校で英語,東京大学で動物学を学んだ。卒業後動物学研究のため渡独したが,強度の近視のために史学に転じて7年間にわたり,テュービンゲン,ハイデルベルク,ベルリンなどの諸大学でヨーロッパ近代史,特にフランス革命,ナポレオン時代を研究,H.トライチュケ,L.ランケらに師事。帰国後第一高等学校教授となった。 1899~1902年史学研究のため渡仏し,帰国して東京大学文科大学教授となった。主著『西洋史講話』『仏蘭西大革命史』 (1919) 。

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百科事典マイペディア 「箕作元八」の意味・わかりやすい解説

箕作元八【みつくりげんぱち】

歴史学者。箕作秋坪(しゅうへい)の子,佳吉の弟。東大卒。初め動物学を修めてドイツ留学。その間歴史学に転じトライチュケランケに学んだ。1902年東大教授となり,近代史を講じ,日本における西洋史学の基礎を作った。主著《西洋史講話》《仏蘭西(フランス)大革命史》。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「箕作元八」の解説

箕作元八
みつくりげんぱち

1862.5.29~1919.8.9

明治・大正期の西洋史家。江戸鍛冶橋の津山藩邸に生まれる。東大卒。1886年(明治19)動物学研究のためドイツに留学したが,強度の近視のため歴史学に転じた。92年帰国し,高等師範・一高の教授となる。独仏両国への再度の留学ののち1902年東京帝国大学教授となる。フランス革命史を中心に実証的研究を進め,揺籃期の日本西洋史学の進展に寄与した。著書「フランス大革命史」全2巻,「ナポレオン時代史」「西洋史講話」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「箕作元八」の解説

箕作元八 みつくり-げんぱち

1862-1919 明治-大正時代の西洋史学者。
文久2年5月29日生まれ。箕作秋坪(しゅうへい)の4男。ドイツで動物学をまなぶが,近視のため史学にうつる。高等師範教授などをへてフランスに留学し革命史を研究。明治35年東京帝大教授となり,西洋史学の確立に尽力した。大正8年8月9日死去。58歳。江戸出身。東京大学卒。著作に「西洋史講話」「仏蘭西(フランス)大革命史」など。

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