篠山(読み)ささやま

精選版 日本国語大辞典 「篠山」の意味・読み・例文・類語

ささやま【篠山】

兵庫県東部にある地名。京街道の要地。江戸時代は松平・青山氏五万石の城下町。平成一一年(一九九九)市制。

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デジタル大辞泉 「篠山」の意味・読み・例文・類語

ささやま【篠山】

兵庫県東部にあった市。令和元年(2019)5月1日より丹波篠山たんばささやま市に改称。→丹波篠山

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日本歴史地名大系 「篠山」の解説

篠山
ささやま

楠山くすやまの西方、高知・愛媛県境にそびえる。標高一〇六五メートル。山頂は東西二つの峰に分れていて、その形が矢筈に似ていることから矢筈やはず山ともよばれた。「土佐州郡志」は「笹山 在笹矢筈山北、西南予州正木村、東北土州楠山村也」と記し、「土佐国白湾往来」(皆山集)は「笹、矢筈下山郷ノ内楠山村 頂迄三里許、淵岳志曰矢筈ハ篠山権現堂の上に弐間四方の池有、水充満せり、其中に矢筈の石とて長二尺五寸許、幅六七寸、厚二三寸の岩有、池の矢筈と云、昔土佐領主島某与州領主(御)庄某立合て国境を定む、其時歌を作る、笹矢筈、正木川分、松尾坂、藻津浜中、あしハをりのり」と記す。山上には篠山権現・篠山観世音寺があって神仏混淆の聖地として知られ、四国霊場八十八ヵ所の番外札所として遍路の登山する者が多かった。

戦国時代には東西二つの峰のうち東の峰(東の森)は土佐領、西の峰(西の森)は伊予領とみなされ、天正一八年(一五九〇)宿毛北分地検帳の久甫川くぼかわ村の項には、「御篠領」(篠山権現領)六代(下ヤシキ)の所在を示して「同し(坂ノ川)北、篠山寺中権現堂ノ堂床ハ杖ヲ除」とあり、さらに久甫川村の項の末尾には

<資料は省略されています>

とある。

篠山
ささやま

一本松町の北部に位置し、高知県宿毛すくも市との境にそびえる山(一〇六五メートル)で、頂上付近は笹と原生林に覆われる。山頂近い南に篠山神社があり、その神宮寺観世音かんぜおん寺があった。

篠山の境界争論は古くからあったものと思われ、「大乗院寺社雑事記」の文明元年(一四六九)の条に「土佐より御音信、下山事、自伊与国押領色々御計略、如元御知行云々」とある。また「伊達家御歴代事記」によると明暦二年(一六五六)境界論公事が起こり、万治元年(一六五八)予州側より幕府へ訴えた。宇和島藩の主張は国境を歌った土佐の古歌に「篠、矢筈、正木川わけ、松尾坂、もくづ、浜中、蘆はをりのり」とあるように、予土国境は矢筈やはずの池、麓では槇の尾まきのおを下り正木まさき川で分けるのが正統で、篠山権現・観世音寺ともに予州側であり、鐘銘・鰐口銘なども予州御荘みしようの篠山と記してあり、また正木川で分けるのだから西小川平にしおがわだいらは予州分であるというものであった。

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改訂新版 世界大百科事典 「篠山」の意味・わかりやすい解説

篠山[市] (ささやま)

兵庫県東部の市。人口4万3263(2010)。1999年四月今田(こんだ),篠山,丹南(たんなん),西紀(にしき)の4町が合体して成立した。

篠山市西端の旧町。旧多紀郡所属。1960年町制。人口3895(1995)。丹波高地南部に位置し,山林が町域の多くを占める。加古川支流の東条川,四斗谷(しとだに)川が南流し,両河川沿いに水田と集落が分布する。鎌倉時代に起源をもつと伝える立杭(たちくい)焼(丹波焼)の産地として知られ,南部の四斗谷川沿いに陶業地が分布し,山の斜面には登窯が並ぶ。また清酒や凍豆腐の製造も盛んである。南接する三田市での大規模住宅開発の影響をうけ,山麓の開発が進んでいる。

篠山市東部の旧町。旧多紀郡所属。人口2万2229(1995)。町域は,多紀連山をはじめ丹波高地の山々に囲まれた篠山盆地の大半を占め,篠山川が西流する。古くから山陰道の宿場町として発展し,江戸時代は篠山藩の城下町として栄え,丹波地方の政治・経済・文化の中心をなした。農業は米作,肉牛飼育を中心とし,マツタケ,ヤマノイモ,丹波栗などの特産もある。酒造,薬品,機械関係の企業が進出し,工業団地の造成や大規模小売店の進出もあって変貌が著しい。町内には篠山城跡(史)や武家屋敷,入母屋妻入りの町屋などが保存され,城下町の面影を残す。舞鶴自動車道(現,舞鶴若狭自動車道)が開通し,観光客が多い。
執筆者:

山陰道に沿った交通の要地であった篠山は,古くから開拓された地域で,遺跡や荘園が多く見られる。中世末八上城を居城として丹波一円を支配していた豪族波多野氏は,1579年(天正7)明智光秀に滅ぼされ一時その領するところとなったが,1608年(慶長13)松平(松井)康重が入城した翌年,徳川家康は篠山に築城を計画し,15ヵ国20の外様大名御手伝普請を命じて約半年余で完成したという。篠山城はもと笹山といわれた小山を利用した平山城で,城下町は城郭を中心として山陰道を北の大手にまわし,南を流れる篠山川を防衛の第一線とし,その中に東西,南北それぞれ横町,縦町をつくった。完成までにほぼ50~60年を要し,侍屋敷地区と町屋地区の面積比率は3対1という。稲作のほか製茶,焼物が行われ,冬季は杜氏(とうじ)として西宮方面への出稼ぎも多かった。1825年(文政8)茶は藩の専売品とし上中下の三品等に分けるなどの規制を加え,文政年間(1818-30)には藩主青山忠裕(ただやす)が王子山焼の磁器を作らせ専売品とした。
執筆者:

篠山市西部の旧町。旧多紀郡所属。人口1万4503(1995)。東部は篠山盆地の西端にあたり,西部には丹波高地南部の山地が連なる。米作中心の農業が主産業で,西流する篠山川,南流する武庫川沿いに水田が広がる。JR福知山線,国道176号,376号線が走り交通の便がよい。舞鶴自動車道(現,舞鶴若狭自動車道)の丹南篠山口インターチェンジができ,商工業の進出がみられる。阪神方面への通勤者など,人口は増加している。南部の古市は古くから市場町として発達したが,鉄道開通後は篠山口に中心が移った。丹波茶の産地として知られる味間には天台宗の古刹(こさつ)大国寺がある。また大山地区の川代公園は桜の名所として知られる。

篠山市北部の旧町。旧多紀郡所属。1960年町制。人口4125(1995)。篠山盆地の北西部を占め,瀬戸内海に注ぐ加古川と日本海に注ぐ由良川の分水界を含む。農業が基幹産業であるが,町域の大半が山林で,耕地は狭い。米作中心から,ピーマン栽培などの都市近郊型農業へ転換が進行中で,阪神地方から進出した企業への就職者も増加。北部の山地は多紀連山県立自然公園に属する。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「篠山」の意味・わかりやすい解説

篠山
ささやま

兵庫県東部,篠山盆地にある旧町域。東は京都府,大阪府に接する。1889年町制。1975年城東町,多紀町の 2町と合体ののち,1999年今田町,西紀町,丹南町の 3町と合体して篠山市(2019丹波篠山市に改称)となる。江戸時代には青山氏 5万石の城下町で,国指定史跡の篠山城跡,旧武家屋敷,妻入の商店街などに当時の面影が残る。播磨から京都にいたる京街道の要地でもあり,東部の福住とともに旧宿場町。国鉄福知山線の敷設に反対したため経済的発展は遅れ,その後,篠山口(旧丹南町)と福住間に敷設された国鉄篠山線も 1972年に撤去された。城東に灘酒造(→)の工場がある。篠山の中央部に位置する畑市(はたいち)には,天平時代に行基が開創し,みずから刻んだとされる薬師如来像を本尊とした西光寺があった。中世の動乱期に建物は焼失したが後年再建された曹洞宗西光寺に本尊以下 4体の仏像が収蔵され,国の重要文化財に指定されている。南東端の籠坊温泉は平家の落人集落といわれる温泉地。南部の猪名川上流地域は猪名川渓谷県立自然公園に,山岳地帯は多紀連山県立自然公園に属する。中央の日置のハダカガヤは国の天然記念物。国道173号線と 372号線が交差する。

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世界大百科事典(旧版)内の篠山の言及

【兵庫[県]】より

…南北約170km,東西約110kmにわたり,本州では北端の青森県,西端の山口県を除けば,太平洋と日本海にまたがる唯一の県である。
[沿革]
 兵庫県はかつての播磨国,但馬(たじま)国,淡路国の全域と摂津・丹波両国の一部にあたり,幕末には尼崎藩,三田(さんだ)藩,姫路藩明石藩竜野藩赤穂藩,三日月藩,三草藩,安志(あんじ)藩,小野藩,林田藩,篠山(ささやま)藩出石(いずし)藩,柏原(かいばら)藩,豊岡藩,村岡藩と天領,旗本領,飛地などが入り組んでいた。1868年(明治1)摂津の旧天領に兵庫裁判所(すぐに兵庫県となる)が設置され,播磨,但馬,丹波の旧幕府領には久美浜県が置かれた。…

※「篠山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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