米川正夫(読み)よねかわまさお

精選版 日本国語大辞典 「米川正夫」の意味・読み・例文・類語

よねかわ‐まさお【米川正夫】

ロシア文学者。岡山県出身。東京外国語学校ロシア語科卒。大学講師を勤める傍らツルゲーネフトルストイドストエフスキーらの作品の膨大な訳業をなし、日本の近・現代文学に大きな影響を与えた。明治二四~昭和四〇年(一八九一‐一九六五

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デジタル大辞泉 「米川正夫」の意味・読み・例文・類語

よねかわ‐まさお〔よねかはまさを〕【米川正夫】

[1891~1965]ロシア文学者。岡山の生まれ。単独で「トルストイ全集」「ドストエフスキー全集」の訳を完成

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改訂新版 世界大百科事典 「米川正夫」の意味・わかりやすい解説

米川正夫 (よねかわまさお)
生没年:1891-1965(明治24-昭和40)

ロシア文学者。岡山県生れ。二葉亭四迷の仕事に刺激され,1909年東京外国語学校露語科に入学した。在学中に同級の中村白葉らとロシア文学の翻訳活動を始め,昇曙夢(のぼるしよむ)の影響下にザイツェフらモダニズム作家を紹介した。旭川第7師団の語学教師となり,大蔵省嘱託としてロシアに行き,革命を見聞して帰国,のち陸軍大学校教授,早稲田大学教授,日本ロシヤ文学会の第2代会長など,公的な経歴も多彩であるが,ロシア文学の翻訳者として世界的に見て量的にも質的にもコンスタンスガーネットを凌駕する文学者として名を残した。個人訳全集としては,《ドストエフスキー全集》(1951-53)や《トルストイ全集》(1946-52)がある。作家ピリニャークとの親交が有名である。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米川正夫」の解説

米川正夫 よねかわ-まさお

1891-1965 大正-昭和時代のロシア文学者。
明治24年11月25日生まれ。陸軍大学校教授,早大教授を歴任。19世紀から現代にいたるロシア・ソビエト文学の主要作品のほとんどを翻訳し,日本文学におおきな影響をあたえた。昭和28年「ドストエーフスキイ全集」の翻訳で読売文学賞。自伝に「鈍・根・才」がある。昭和40年12月29日死去。74歳。岡山県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「米川正夫」の意味・わかりやすい解説

米川正夫
よねかわまさお
(1891―1965)

ロシア文学者。岡山県生まれ。1912年(大正1)東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科卒業。明大、早大などでロシア語教師を勤める。14年ドストエフスキーの『白痴』『カラマーゾフの兄弟』の抜粋訳を出版後、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイらの作品の膨大な訳業を残し、『ドストエーフスキー全集』(1954)の翻訳は日本の近・現代文学の発展に大きく寄与した。

[草鹿外吉]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「米川正夫」の意味・わかりやすい解説

米川正夫
よねかわまさお

[生]1891.11.25. 岡山,高梁
[没]1965.12.29. 東京
ロシア文学者。 1912年東京外国語学校露語部卒業。陸軍大学校や早稲田大学の教壇に立ち,かたわら翻訳によるロシア文学の紹介,普及に尽力した。『ドストエーフスキイ全集』 (1951~53) をはじめ,トルストイ,ツルゲーネフらの作品に多くの名訳を残した。

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