米沢(市)(読み)よねざわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「米沢(市)」の意味・わかりやすい解説

米沢(市)
よねざわ

山形県南東端に位置する県南地域の中心都市。1889年(明治22)市制施行。1953年(昭和28)上長井村、1954年万世(ばんせい)、広幡(ひろはた)、六郷(ろくごう)、塩井、三沢窪田(くぼた)の6村、1955年山上(やまかみ)、上郷(かみごう)、南原(みなみはら)の3村を編入。市域の南半は奥羽山脈の一部吾妻(あづま)連峰を頂く山岳地帯、北半はここから流下する松川、大樽(おおたる)川、鬼面(おもの)川など最上(もがみ)川の源流となる諸河川が扇状地群を形成して米沢盆地の南端部をなしている。内陸性気候で、夏は高温多湿、冬は西方の荒川峡谷部から吹き込む季節風の影響で降雪が多く豪雪地として知られる。JR奥羽本線(山形新幹線)と国道13号が県境を越えて福島市に通じ、JR米坂線、国道121号・287号の起点をなす米沢盆地の交通中心地。1997年(平成9)に米沢南陽道路(現在は東北中央自動車道)が開通し、米沢北、米沢中央、米沢八幡原(はちまんばら)の3インターチェンジがある。

 中心の米沢地区は中世に長井荘(しょう)の地頭(じとう)長井氏(大江氏)の築城によって開け、戦国期に伊達(だて)領の中心地として城下町の原型が形成された。1601年(慶長6)関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝(かげかつ)が会津から移封されてから城下の整備が進み、町割の基礎が固められた。以後明治維新まで約270年間にわたって上杉氏統治の中心であった。藩政改革を断行した10代藩主治憲(はるのり)(鷹山(ようざん))が家臣らに奨励した家内工業の織物業は、明治以降米沢織として発展し、第二次世界大戦前までの米沢市は繊維工業を主とした県下第一の工業都市であった。

 戦後は弱電関係の工場立地が進むなど電気機器工業の伸長が著しく、最近では情報通信、電子工業が急増、2012年現在、製造品出荷額は県下で第1位を占めている。市東部に八幡原中核工業団地も造成された。昭和40年代後半の市役所移転に伴って金池(かねいけ)地区が新官庁街となり、市役所の跡地にショッピングセンターができるなど市街地の近代化が進んだ。1984年には郵政省(現、総務省)のテレトピアモデル都市に指定された。周辺農村部では米作のほか、米沢牛として知られる和牛飼育や養鯉(ようり)業、リンゴなどの果樹栽培が盛ん。

 吾妻連峰一帯は磐梯(ばんだい)朝日国立公園域で、山麓(さんろく)には白布高湯(しらぶたかゆ)、小野川、大平(おおだいら)、姥湯(うばゆ)などの温泉や天元台高原スキー場などがあり、西吾妻スカイバレーラインで福島県の磐梯高原とも結ばれている。上杉博物館と置賜(おきたま)文化ホールがあわさった「伝国の杜(もり)」、運動施設の整った米沢総合公園などがある。米沢城跡(松が岬(まつがさき)公園)にある上杉神社は藩祖上杉謙信(けんしん)を祀(まつ)り、「上杉家文書」(2001年国宝に指定)、伝謙信・景勝所用の胴服、太刀などのほか、「絹本着色毘沙門天(びしゃもんてん)像」や「紫綾金泥両界曼茶羅(まんだら)図」など多くの国指定重要文化財を蔵する。上杉博物館保管の「紙本金地著色洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」は国宝。また、旧米沢高等工業学校本館は1910年(明治43)の建築で国の重要文化財に指定されている。国指定史跡には縄文時代前期の一ノ坂遺跡、平安時代中期の居館跡である古志田東遺跡(ふるしだひがしいせき)、上杉治憲敬師郊迎跡米沢藩主上杉家墓所がある。上杉・松岬両神社の春の例祭、米沢上杉まつりでは御輿(みこし)渡御や川中島合戦が催される。南郊の笹野(ささの)では民芸品笹野一刀彫りがみられる。面積548.51平方キロメートル、人口8万1252(2020)。

[中川 重]

『『米沢市史』全12巻(1983~1999・米沢市)』


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