糸荷廻船(読み)いとにかいせん

精選版 日本国語大辞典 「糸荷廻船」の意味・読み・例文・類語

いとに‐かいせん ‥クヮイセン【糸荷廻船】

〘名〙 江戸時代唐船オランダ船長崎輸入される生糸絹物ラシャ薬種などを上方(かみがた)へ回送した特権的廻船船主大坂と堺、隻数は二五艘(そう)と決められていたが、天明一七八一‐八九)頃には、大坂船五艘、堺船二〇艘に減った。〔堺大坂糸荷廻船取斗大意書〕

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百科事典マイペディア 「糸荷廻船」の意味・わかりやすい解説

糸荷廻船【いとにかいせん】

近世,大坂・の特権的な船で,唐船やオランダ船により長崎に輸入された生糸(きいと)・絹物などの糸荷を上方(かみがた)に運ぶことを許されていた。堺の糸荷廻船は堺の商人にその所有が限られ,堺船とよばれた船には御用と記した船印か鎗を立てていた。急のため堺宿老(しゅくろう)の許可を得て,他船をもって運送する船は仮船(かりぶね)とよばれた。慶長年間(1596−1615)35艘の船株があったが,糸荷の輸入が減少するに伴って衰退し,18世紀後半には21艘となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「糸荷廻船」の意味・わかりやすい解説

糸荷廻船
いとにかいせん

江戸時代に生糸をはじめ長崎輸入品を、独占的に堺(さかい)や大坂に積み登せた廻船。堺糸荷廻船、堺・大坂糸荷廻船ともいい、同じく長崎から陸送する場合は糸荷宰領(さいりょう)の仲間が独占した。糸荷廻船は、幕府が慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に堺の35艘(そう)の船株を公認して始まったと伝えられているが、18世紀初めの定数は35艘。その後長崎貿易と堺の衰退により14艘にまで減ったが、1739年(元文4)から大坂商人が堺の船株を借りてこれに参加するようになり、水揚げは大坂中心に移っていった。

 陸送か廻船によるかは荷主(五か所本商人)の選択に任されたが、運賃は廻船が割安であった。隻数には増減があり、1775年(安永4)ごろは20艘、幕末開港期には11艘で、いずれも船株上では堺船であった。

[中村 質]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「糸荷廻船」の意味・わかりやすい解説

糸荷廻船
いとにかいせん

江戸時代の特権的輸送機関。長崎から輸入された生糸などの貨物を,大坂方面に輸送する免許を与えられた堺,大坂の船。 (→廻船 )

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