紀昀(読み)きいん

精選版 日本国語大辞典 「紀昀」の意味・読み・例文・類語

き‐いん【紀昀】

中国、清代の学者。字(あざな)は暁嵐(ぎょうらん)、または春帆。号は石雲。河北省献県の人。乾隆帝勅命によって「四庫全書」の編纂とその総目解題である「四庫全書総目提要」の編著に中心的役割を果たした。著に「閲微草堂筆記」がある。(一七二四‐一八〇五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀昀」の意味・わかりやすい解説

紀昀
きいん
(1724―1805)

中国、清(しん)代の学者。字(あざな)は暁嵐(ぎょうらん)、諡(おくりな)は文達。直隷(ちょくれい)(河北省)献県の人。1754年(乾隆19)の進士。翰林院(かんりんいん)編修から翰林院侍読学士になったが、罪を得て新疆(しんきょう)ウルムチに流された。1771年許されて翰林院編修に復職。1773年高宗(乾隆帝)の命により「四庫全書」の編集事業が始まるとその総纂(そうさん)官に任命され、以後10年間に多くの学者の協力を得て、1782年『四庫全書総目提要』200巻を完成。礼部尚書協弁大学士に昇って没した。博覧強記、豊かな学殖で知られ、その学風形而上(けいじじょう)的な宋学(そうがく)を排し、実証的な漢学の立場をとった。生前に怪奇な話を集めた小説集『閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)』24巻を著したほかは詩文いっさいを保存しなかったが、死後の1812年それらを集めて『紀文達公文集』16巻が刊行された。

[佐藤 保 2016年3月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「紀昀」の意味・わかりやすい解説

紀昀 (きいん)
Jǐ Yún
生没年:1724-1805

中国,清中期の学者。字は暁嵐,また春帆,晩年に石雲と号した。直隷省河間府の名門の生れ。乾隆19年(1754)の進士。翰林の官にいて,戴震,銭大昕(せんたいきん)ら都へ集まる学者たちにとってのよき庇護者であったが,1768年,罪に問われた姻戚にその情報を内報したかどで,ウルムチ(烏魯木斉)に流された。2年ほどで許され,1773年に四庫全書館が開かれると,総纂官として編纂の事業を統括し,とくに書目解題《四庫全書総目提要》は各専門分野の学者の手に成る分纂稿に筆をふるって定稿とした。四庫全書の纂修に専念すること10年,みずからの学術上の専著はほとんど残さなかったが,《紀文達公遺集》文16巻,詩16巻がある。志怪小説《閲微草堂筆記》に晩年の筆を遊ばせ,礼部尚書の官に卒し,文達と諡(おくりな)された。まさに一代の文宗であるが,洒脱な性格で,当時の常識を超えた自在な行動もあり,また人間味豊かな見識を持していた。
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世界大百科事典(旧版)内の紀昀の言及

【閲微草堂筆記】より

…中国,清の紀昀(きいん)の著。文言の志怪小説。…

【四庫全書】より

…経・史・子・集の四部に分類されて保管されたので四庫の名がある。乾隆帝は1741年(乾隆6)から集書を始め,72年に四庫全書館を置き,紀昀(きいん)らに命じて,勅撰本,内府蔵本,永楽大典本,各省採進本,私人進献本,通行本の6種よりなる収集原本をもとに,四庫に収める書と目録だけを作る書とに分けさせた。前者を著録といい,後者を存目という。…

※「紀昀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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