紅葉山(読み)もみじやま

改訂新版 世界大百科事典 「紅葉山」の意味・わかりやすい解説

紅葉山 (もみじやま)

江戸城本丸西丸との間で,西丸の東北にある小丘。鷲の森と呼ばれていたところで,楓山とも書く。古墳という推測もあるが,江戸城構築後,1618年(元和4)に徳川家康の廟所を設置して以来,歴代将軍の廟が設けられ,御霊屋おたまや)という。家康廟はのちに東照宮といい,毎年4月17日の忌日には将軍の参詣があり,紅葉山御社参ととなえ幕府年中行事の一つであった。祭事のための楽人が付属し,紅葉山楽人といい,霊廟には紅葉山坊主が雑事に当たった。地域一帯の警備として紅葉山火之番(はじめ留守居支配,のち寺社奉行支配)が設けられた。また城内富士見亭にあった文庫を1639年(寛永16)にこの地に移し,紅葉山文庫と称した。維新の際,江戸城接収後廟所は撤去され,文庫は新政府に収められた。
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紅葉山 (もみじやま)

江戸城内紅葉山の徳川家廟所において,祭祀用の雅楽演奏に従事した楽人の組織を,所在地名から紅葉山(楽人)と称した。1642年(寛永19)三代将軍家光の要請により,宮廷行事の奏楽に当たっていた三方楽所さんぽうがくそ)の楽人数名が江戸に下り,家康廟の法要に雅楽を奏したのが紅葉山楽所の始まりという。1870年(明治3)京都から移住した三方楽人と紅葉山楽人が合流して皇居に雅楽局が設けられ,今日の宮内庁式部職楽部へと受け継がれている。
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百科事典マイペディア 「紅葉山」の意味・わかりやすい解説

紅葉山【もみじやま】

江戸城の本丸と西丸の間にある小丘。楓山とも書く。徳川家康をはじめ歴代将軍の廟が設けられ,御霊屋(おたまや)と称された。家康忌日の4月17日には毎年将軍の参詣があり,祭事のための紅葉山楽人が付属,霊廟には紅葉山坊主がいた。また警備には紅葉山火之番が当たった。→紅葉山文庫

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世界大百科事典(旧版)内の紅葉山の言及

【江戸城】より

…西丸御殿は本丸御殿よりやや小規模であったが,その構造は本丸御殿に準じたものである。西丸の北側に続く紅葉山には東照宮以下歴代将軍の廟と宝蔵・文庫があり,吹上は明暦大火以後は広大な庭園となっていた。江戸城内はたびたびの火災で頻繁に修築工事が行われたが,江戸時代を通じてほぼ初期の規模構造が維持されて幕末に及んでいる。…

【東照宮】より

…家康死去の年に外孫松平忠明が大坂天満の川崎に,外様大名有馬豊氏が筑後善導寺に,東照社をまつった。秀忠は18年江戸城紅葉山に内廟として東照社を勧請し,藤堂高虎は府内士庶参詣の便に上野忍ヶ岡に小祠を建て勧請したが,寛永寺創建にともない幕府は27年(寛永4)これを造替した(上野東照宮)。三家では,尾張の徳川義直が19年名古屋城三の丸に,紀伊の徳川頼宣が21年和歌浦雑賀山(さいかやま)に,水戸の徳川頼房も同年水戸霊松山(常磐山)に東照社を創建し,社領を寄進した。…

【紅葉山】より

…江戸城内紅葉山の徳川家廟所において,祭祀用の雅楽演奏に従事した楽人の組織を,所在地名から紅葉山(楽人)と称した。1642年(寛永19)三代将軍家光の要請により,宮廷行事の奏楽に当たっていた三方楽所(さんぽうがくそ)の楽人数名が江戸に下り,家康廟の法要に雅楽を奏したのが紅葉山楽所の始まりという。…

【紅葉山文庫】より

…江戸時代,幕府が江戸城内紅葉山に設置し,蔵書を収めた文庫。楓山文庫とも書き,紅葉山秘閣とも称した。…

※「紅葉山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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