細川持賢(読み)ほそかわ・もちかた

朝日日本歴史人物事典 「細川持賢」の解説

細川持賢

没年応仁2.10.7(1468.10.22)
生年:応永10(1403)
室町時代の武将。細川満元の3男。持之の弟。官名右馬助,右馬頭,法名道賢。嘉吉1(1441)年6月,将軍足利義教が赤松満祐に暗殺されると,討伐軍に参加しその功で摂津欠郡(西成郡)守護に任ぜられた。以後子孫がこの地の守護となり,典厩家と称す。翌年持之が死ぬと,嗣子勝元幼年のためこれを後見し,数年間幕政の枢機にもあずかった。よく甥の勝元を補佐し,他の守護家のように内紛を起こさなかった。義教の菩提を弔うため摂津に崇禅寺創建。応仁の乱では勝元率いる東軍の有力武将として活躍し,応仁1(1467)年11月大内政弘の兵を摂津に防御したが,翌年病没。東福寺の雲泉大極と親交があり,人となり恭謙剛毅,寛仁にして衆心を得ると評された。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川持賢」の解説

細川持賢 ほそかわ-もちかた

1403-1468 室町時代の武将。
応永10年生まれ。幕府管領(かんれい)細川満元の3男。摂津中島(大阪府)の分郡守護で,右馬頭(うまのかみ)を官途とした典厩(てんきゅう)家の初代。応仁(おうにん)の乱では甥(おい)の細川勝元がひきいる東軍の将として活躍。和歌をこのんで尭孝(ぎょうこう)らとまじわり,連歌の会をもよおした。応仁2年10月7日死去。66歳。通称は弥九郎。法名は道賢。

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