経世済民論(読み)けいせいさいみんろん

改訂新版 世界大百科事典 「経世済民論」の意味・わかりやすい解説

経世済民論 (けいせいさいみんろん)

主として江戸中期以降に形成された〈治国平天下〉の論。今日でいう政治,経済,社会を論じ,生産増強,消費節約などを内容とする。封建社会の爛熟(らんじゆく)期・末期の現実を客観的・実証的に観察し,具体的・制度的な改革案をいろいろな思想的立場からうちだそうとした。太宰春台が《経済録》に〈凡(およそ)天下国家ヲ治ルヲ経済ト云。世ヲ経シテ民ヲ済(すく)フト云義也〉と定義しているが,もっとも的確な表現である。江戸中期以降は,前期に比べ幕府権力の基盤や諸機構の動揺がはげしくなった。商品経済の発展によって自然経済のたてまえが大きくゆすぶられ,その結果,幕府・諸藩の財政難,武士農民困窮にひきかえて都市大商人が躍進し,農村地帯では飢饉反抗などが拡大する。天保以降の状況はさらにきびしくなり,破局への転換点となる。そこで経世論の主眼は,内政上の危機の進行,武士と農民の経済的窮乏や破綻の根本的原因は何か,それをどうしたら解決できるかという点におかれた。それとともに,ロシアの南下を先ぶれとする西洋列強による〈外圧〉への評価と対応も,敏感な経世家には早くからみられた。

熊沢蕃山(1619-91)と荻生徂徠(1666-1728)は,それぞれの異質性はありながら,経世済民論の先駆者とみてよい。君臣関係はもとよりいっさいの人間の道徳的関係を〈自然の理〉として絶対化し,富への欲望を封建道徳ときびしく対立させた官製の朱子学に対し,蕃山は〈仁政ヲ天下ニ行ハン事ハ,富有ナラザレバ叶ハズ〉〈人君仁心アリトイヘ共,仁政ヲ不行バ徒善(むだ)也〉と述べ,富・人君のあり方を既成の規範から解放した。現実の解決策としては,兵農分離以前の状態への復帰である農兵制を主張した。徂徠は中国古典の帰納的研究によって〈聖人の道〉を求め,それを経世論の中軸として絶対化した。また武士に知行地を与え,土着させることが経済の行詰りの解決策だと説いた。奢(おご)り,つまり庶民の需要の徹底的抑制が,限りある物資を不足なく用いるために必要だと考えた。徂徠までは米本位の価値観に立っていたが,その弟子太宰春台になると現実の金銀中心の流通や商業資本の力を無視できぬと知るようになる。土地の利用,特産物の奨励藩専売制を唱え,積極的な興利策をとる。一方関西方面では,大坂町人の富強と発言権の高まりを背景として,たとえば懐徳堂に拠る学者たちのように商業資本の立場から従来の価値観を訂正していこうという動きが認められる。中井竹山はその経済策において町人の利益の立場から運上金の廃止などを唱え,交通や社会福祉策のうえで先駆的な主張を行った。

徂徠の実証主義や春台の商業藩営論などの延長に,より現実的で合理主義的な海保青陵(1755-1817)の経世論がつづく。彼が生きた時代には,幕藩体制の行詰りが,いっそうあらわになった。青陵は商業経済の発展を〈理〉の当然,歴史の必然であると積極的に評価し,武士もつまるところ商人で,利潤追求こそ善であり,富国の基であると主張した。青陵の唱えたいわば藩単位の重商主義を,洋学の知識と持ちまえの数理的・合理的資質で前進させたのが本多利明(1744-1821)である。それには外圧への危機意識も作用した。彼の商業・交易の重視は,藩や国内を超えて万国交易へと進み,鎖国体制の否定にまでいきついた。つづく佐藤信淵(1769-1850)は平田神道の影響をとりいれ,天皇中心の絶対主義国家を志向する。彼の晩年には1837年(天保8)のモリソン号事件,40年のアヘン戦争があり,利明の描いた理想的・平和的な西洋像と異なって,情勢は血なまぐさいものとして映った。信淵の絶対王政的な国家論は,富国強兵国是とし,強大な軍事力を背景として貿易の論理を強力に展開し,その《宇内混同秘策》の広域的侵略主義は,帆足万里の《東潜夫論》などにおいて,いっそう積極的に継承されていく。

以上の経世家たちは,おおむね為政者の側から現実を見つめて方策を〈献言〉する形をとった人々である。これに対し農村と農民の現実の中から対応策を学びとり,実践した一連の農政家,農学者の経世論がある。二宮尊徳(1787-1856)の荒村復興仕法=尊徳仕法のもとは,徂徠の考え方の流れをくむ〈人道作為〉の論である。彼は天道と人道を分離し,人道を作為の道とする。そしてそれは分度を守ることである。作為は天道実現に不可欠のもので,具体的には勤労であり,自愛即他愛の立場から自他ともに栄える道を説いた。ほぼ同時代の大蔵永常はリアルな農業技術者として,民に利を得させてはじめて為政者の利となることを主張し,尊徳の稲作中心の増強策に対し商品作物の栽培・加工を重視し,実践指導した。また大原幽学は1838年,日本における農業協同組合の先駆である先祖株組合を4ヵ村に結成させた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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