経済計算論争(読み)けいざいけいさんろんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「経済計算論争」の意味・わかりやすい解説

経済計算論争
けいざいけいさんろんそう

社会主義経済には資源配分を合理的に行うための計算的基礎が存在するかという問題をめぐって、両大戦間期に欧米の経済学者の間で展開された論争をいう。この論争は1920年にオーストリアの経済学者ミーゼス論文「社会主義共同体における経済計算」によって開始されたが、その論旨は、社会主義のもとでは生産手段が公有であるため、少なくとも生産財については市場および市場価格が成立せず、価格のないところに経済計算はありえないから、そこでは資源配分恣意(しい)的に行われ、つまるところ社会主義経済は運営不可能に陥る、というものであった。

 ところがミーゼスのこの問題提起は、理論的にはすでに1908年にイタリアの経済学者バローネの論文「集産主義国家における生産省」によって解決済みであることが、その後明らかにされた。バローネは、生産手段の公有制のもとでも中央計画当局(生産省)が各種の財や用役に一種の計算価格を設定し、これに市場価格と原理的に同一の機能を果たさせることが可能であり、したがって社会主義のもとでも資源の合理的配分が可能であることを数学的に証明していたのである。そこで、ミーゼスと同じ立場にたつイギリスの経済学者ロビンズハイエクはこの点を考慮に入れて、1930年代なかばに、社会主義経済においてそのような計算価格が設定可能であることが理論的に証明されたとしても、現実問題としてそうするためには中央計画当局は膨大な量の統計資料を収集・加工し、それに基づいて数十万(ハイエク)ないし数百万(ロビンズ)の連立方程式を解かねばならないから、それは実行不可能であると主張した。

 これらの議論に反論しつつ社会主義のもとでの経済計算可能論を主張したのは、アメリカの経済学者F・M・テーラー、A・P・ラーナー、およびポーランドの経済学者で当時滞米中のO・R・ランゲらで、うちもっとも有名なのがランゲの論文「社会主義の経済理論」(1936~37)であった。ランゲはこの論文において、第一に、社会主義のもとでも合理的な資源配分を実現するためには、価格をシグナルとして個々の経済主体意思決定が行われるという意味での「価格のパラメータ機能」が保持されなければならないが、その際の価格はかならずしも市場価格である必要はなく、技術的代替率に基づく計算価格であれば十分であること、第二に、その実際的解決の仕方として、企業に自律性(生産上、販売上の自由)を与え、中央計画当局は任意の計算価格をこれらの企業に伝達し、その結果生ずる需給の不均衡に応じて計算価格を逐次修正してゆけば、価格のパラメータ機能が果たされうることを明らかにした。このランゲの見解は、「競争的解決」とか「市場社会主義」とかよばれたが、要するに、ソ連で集権的計画経済システムが成立した1930年代に早くも、計画経済と市場メカニズム価格メカニズム)のフィードバック機能との結合を内容とする分権的社会主義経済モデルを提唱したものであり、ランゲの見解は60年代以降の東欧やソ連における市場メカニズム導入論(それは結局、失敗に終わったが)に大きな影響を与えた。

[宮鍋 幟]

『A・F・V・ハイエク編、迫間真治郎訳『集産主義計画経済の理論』(1950・実業之日本社)』『O・ランゲ、F・M・テーラー著、B・E・リピンコット編、土屋清訳『計画経済理論』(1951・社会思想研究会出版部)』『W・ブルス著、鶴岡重成訳『社会主義経済の機能モデル』(1971・合同出版)』

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世界大百科事典(旧版)内の経済計算論争の言及

【社会主義】より

… 以上のように考えれば,経済改革をめぐる動きが,集権・分権の問題と並んで,市場経済のカテゴリーの利用,価格機構の〈復権〉の問題をもう一つの軸として転回しているのは,当然すぎるほど当然のことである。言い換えると,それは資本主義経済にビルトインされている効率化のメカニズムの〈シミュレーション(模擬)〉であって,1930年代の〈経済計算論争〉の意味が〈東〉の世界でも前向きに評価されるようになった理由も,そこにある。
[改革後の経済制度の諸類型]
 ソ連・東欧諸国の経済改革の第1波は,1960年代半ばから70年代初めにかけて展開された。…

【比較経済体制論】より


[誕生]
 比較経済体制論は経済学の一分野であるが,その成立ちは比較的に新しい。その源流の一つは,1920~30年代に行われた〈社会主義経済計算論争〉である。この論争は,当時ロシアに現れた社会主義計画経済が合理的な経済体制として存続・発展できるかという社会的関心をも反映していたが,同時にそれがイデオロギー的論争としてではなく理論経済学の枠組みの中でのモデル分析的な議論として展開されたことに特徴がある。…

※「経済計算論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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