総追捕使(読み)ソウツイブシ

デジタル大辞泉 「総追捕使」の意味・読み・例文・類語

そう‐ついぶし【総追捕使】

源頼朝諸国に設置した職。行政軍事警察権をもつ。守護前身
鎌倉時代社寺領地荘園内で、警察・軍事をつかさどった職。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「総追捕使」の意味・わかりやすい解説

総追捕使
そうついぶし

惣追捕使とも書く。(1)鎌倉幕府の地方官職で、守護の別称。(2)平安時代末に出現する軍事・警察的職掌。史料上の初見は1183年(寿永2)で、追捕使との違いは明確ではないが、追捕使が公領にしか権限をもたないのに対し、源平内乱期に公領・荘園(しょうえん)を問わずに軍事・警察権を行使する必要ができたために設置されたものらしい。それが官職化されたものが鎌倉幕府の守護(総追捕使)だが、一方で総追捕使という名称も長く荘園内の職として残った。

[井上満郎]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「総追捕使」の解説

総追捕使
そうついぶし

「そうついぶくし」とも。惣追捕使とも。源平争乱期~鎌倉幕府草創期,国あるいは荘園におかれた軍事指揮官。1184年(元暦元)平氏追討宣旨をうけた源頼朝は,畿内近国に適宜,総追捕使を任命,播磨・美作両国の梶原景時,備前・備中・備後諸国の土肥実平,伊賀国の大内惟義などである。平氏滅亡後停止されることになったが,85年(文治元)末,源義経・同行家の追討を名目に,あらためて設置を朝廷に認めさせた。行家・義経滅亡後は,もっぱら一国ごとに治安警察一般,国内御家人の統率にあたる者として,それまでも異称としてあった守護人・守護とよばれるようになり,鎌倉幕府の全国的・統一的な職制となっていく。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「総追捕使」の意味・わかりやすい解説

総追捕使
そうついぶし

(1) 平安時代,諸国の治安維持のために朝廷から各国に任命派遣された官人。平安時代末期には荘園にも荘官の一つとして補任された。 (2) 源平争乱期に,源頼朝が勢力下に入った国々を守護するために補任した。やがて文治1 (1185) 年守護地頭設置の勅許を得ると,これがのちに守護へと発展していく。

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