デジタル大辞泉
「義仲寺」の意味・読み・例文・類語
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ぎちゅう‐じ【義仲寺】
滋賀県大津市馬場
(ばんば)にある単立
寺院。もと天台寺門宗。山号は義山。天文二二年(
一五五三)
近江国の守護佐々木高頼が
木曾義仲討死の地に建立と伝えられる。松尾
芭蕉がこの地を好み、この寺に久しく滞在した。木曾義仲、松尾芭蕉の墓がある。よしなかでら。巴
(ともえ)寺。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
義仲寺
ぎちゆうじ
[現在地名]大津市馬場一丁目
江戸時代に湖南俳壇の中心となったもと天台系寺院。現在は単立。朝日山と号し、本尊聖観音。東海道分間延絵図では街道筋南側に義仲寺とみえ、義仲塚・芭蕉堂などとも記す。境内は国指定史跡。
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
〔創建〕
義仲寺と号することからもわかるように、元暦元年(一一八四)の粟津合戦で敗死した木曾義仲を供養するため、室町時代末に守護六角氏が創立し、石山寺(現大津市)の末寺としたという。また寺伝では、これ以前義仲の墓を弔った名もなき尼僧(愛妾巴御前とも)がいたことから無明庵・尼寺・木曾塚・木曾寺とも称されていたと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
義仲寺 (ぎちゅうじ)
滋賀県大津市にある単立寺院(元,天台宗寺門派)。無名庵ともいう。1184年(元暦1)この地で戦死した木曾義仲の菩提を弔って,巴御前が草庵を作ったのにはじまるとされる。1553年(天文22)佐々木高頼が諸堂を建立し,寺観を整えた。義仲の塚のかたわらには,1690年(元禄3)当寺に滞在した松尾芭蕉の墓があり,境内に芭蕉の木像を安置した翁堂や多くの句碑がある。芭蕉ゆかりの寺として俳人の訪れが絶えない。
執筆者:伊藤 唯真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
義仲寺【ぎちゅうじ】
滋賀県大津市にある天台系の単立寺院。本尊聖観音。〈よしなかでら〉とも。室町時代末六角氏が木曾義仲(源義仲)を供養するため創建という。芭蕉は遺言によって,死後義中の墓と並んで葬られ,〈木曾殿と背中合わせの寒さかな〉の句碑が立つ。
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世界大百科事典(旧版)内の義仲寺の言及
【蝶夢】より
…はじめ望月宋屋に接したが,1759年(宝暦9)の越前敦賀(つるが)旅行を契機に地方系蕉門俳壇に移って,京の同俳壇の中心となり,寺町帰白院11代住職を辞して,68年(明和5)洛東岡崎に草庵を結ぶ。以後は芭蕉復興の俳諧活動に専念,例年[義仲寺](大津市)で営む芭蕉忌を中軸とした芭蕉顕彰運動を全国的規模で展開して,70年には同寺の芭蕉堂を再建する。組織力にすぐれ,諸事業を通じて諸国俳人の蕉風化を進め,93年(寛政5)の芭蕉百回忌法要はその達成といえる。…
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