義経腰越状(読み)よしつねこしごえじょう

改訂新版 世界大百科事典 「義経腰越状」の意味・わかりやすい解説

義経腰越状 (よしつねこしごえじょう)

人形浄瑠璃。時代物。3段。通称《五斗三番叟(ごとさんばそう)》,《腰越状》。千簬荘主人,一説には並木永輔作。元来5段だったが,四段目の鶴岡で,家康に擬せられる頼朝を関女が鉄砲でねらい撃つくだりが幕府から禁じられたので三段目までとなった。1754年(宝暦4)7月大坂豊竹座初演。本作の粉本は並木宗輔の《南蛮鉄後藤目貫(なんばんてつごとうのめぬき)》(1735年2月豊竹座)で,それを改作した《義経新含状(よしつねしんふくみじよう)》(1744年3月江戸肥前座)をさらに改作したのが本作。1770年(明和7),大坂北堀江座で再演のおりに豊竹応律が四段目を書き直したのが現行5段本。歌舞伎化は1761年(宝暦11)12月大坂天満天神社内芝居。時代は《義経記》だが大坂夏の陣を扱って,頼朝は家康,義経は秀頼,五斗兵衛後藤又兵衛の当てこみだから,ゴトウということもある。内容は《南蛮鉄》とほとんど同じで,梶原の告げ口で頼朝の不興をうけて腰越から追われた義経は,院宣をえて反旗をあげる。軍師として泉三郎推挙で五斗兵衛がよび出される。五斗はかつて頼朝に亡ぼされた木曾義仲の残党で,今は目貫職人となっている。義経の御前でも生来好きな酒に酔ってすっかり不首尾となるが,泉三郎の放つ空砲の音に性根の乱れのないことをみせる。現行では三番叟から鉄砲場までが上演される。幕明きは亀井六郎(木村重成を暗示する)が酒宴三昧の義経を諫言のあと,錦戸と伊達の兄弟との応酬,泉三郎の捌(さば)きがあり,五斗の出となる。伊達にすすめられて酒をのみ酔態となり,目貫の講釈を仕方話できかせ,三番叟を舞ってみせるのが見どころ。次の鉄砲場は,愛想をつかした女房の関女に請われるまま,五斗が三下り半を書き,寝入ってしまう。泉三郎女房高の谷とのやりとりがあり,ついで三郎が出て空鉄砲を撃つと,五斗は英雄の本性をあらわし豪快な風格を示す。不明を悟った関女は夫に復縁を願うが,娘の徳女が自害して母の身勝手をいさめるので,頼朝を討つため鉄砲を持って鎌倉へ向かう。明治期では9世市川団十郎,昭和期では6世尾上菊五郎が得意とした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「義経腰越状」の意味・わかりやすい解説

義経腰越状
よしつねこしごえじょう

浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。千荘主人(せんろそうしゅじん)(一説に並木永輔(えいすけ))作。1754年(宝暦4)7月、大坂・豊竹(とよたけ)座初演。大坂夏の陣を源頼朝(よりとも)・義経(よしつね)の時代に置き換えて脚色したもので、並木宗輔(そうすけ)の『南蛮鉄後藤目貫(なんばんてつごとうのめぬき)』(1735)の改作。四段目に家康を諷(ふう)した頼朝を関女(せきじょ)が狙撃(そげき)する筋があったため上演を禁止され、三段目まで演じ、1770年(明和7)の再演のおり、豊竹応律(おうりつ)が四段目を書き直した。後藤又兵衛を当て込んだ軍師五斗兵衛(ごとべえ)を中心とする三段目だけが歌舞伎(かぶき)で上演される。口(くち)の「三番叟(さんばそう)」は、目貫師となって世を忍ぶ軍略家五斗兵衛が、泉(いずみ)三郎の推挙で義経に抱えられるが、佞臣錦戸(ねいしんにしきど)兄弟に謀られて大酒を飲み、酔態を演じるという筋で、竹田奴(たけだやっこ)を絡ませた三番叟の踊りが見せ場。切(きり)の「鉄砲場」は泉三郎の館(やかた)で、五斗兵衛に愛想をつかした女房関女が、娘徳女(とくじょ)の自害してのいさめに不明を恥じ、頼朝を討つため鉄砲を持って鎌倉へ向かうという筋で、酔いつぶれた五斗兵衛が、三郎の撃った空鉄砲(からでっぽう)の音で英雄の本性を現すところが眼目。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「義経腰越状」の解説

義経腰越状
よしつね こしごえじょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
並木永助
補作者
奈河七五三助(1代) ほか
初演
明和5.5(大坂・三桝座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の義経腰越状の言及

【大坂軍記物】より

…このような方法はもっぱら人形浄瑠璃において確立されたもので,1719年(享保4)1月大坂豊竹座の《義経新高館(よしつねしんたかだち)》以下,35年2月豊竹座の《南蛮鉄後藤目貫(なんばんてつごとうのめぬき)》,69年(明和6)12月大坂竹本座の《近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)》,翌年5月竹本座の《太平頭鍪飾(たいへいかぶとのかざり)》,90年(寛政2)11月竹本座の《恋伝授文武陣立(こいのでんじゆぶんぶのじんだて)》,94年10月大坂北堀江市の側芝居の《日本賢女鑑(につポんけんじよかがみ)》,1800年12月大坂道頓堀東芝居の《鳰湖高名硯(におのうみこうみようすずり)》などが作られた。なお,そのうち,《南蛮鉄後藤目貫》と《太平頭鍪飾》とは幕府の忌諱に触れて興行禁止を命ぜられ,その正本も刊行されなかったが,のちに前者は1744年(延享1)3月江戸肥前座の《義経新含状(よしつねしんふくみじよう)》,54年(宝暦4)7月豊竹座の《義経腰越状》(以後も2度にわたる改訂あり)など,後者は81年(天明1)3月江戸肥前座の《鎌倉三代記》などに改作,上演されている。 一方,歌舞伎では,1720年大坂嵐三右衛門座(角の芝居)で前述の《義経新高館》が脚色されたことをはじめとして,おもに人形浄瑠璃からの改作物が行われていたが,ほかに72年(安永1)3月大坂市山助五郎座(中の芝居)の《近江源氏講釈(おうみげんじしかたこうしやく)》などの独自作もある。…

※「義経腰越状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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