羽仁吉一(読み)はに よしかず

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「羽仁吉一」の解説

羽仁吉一 はに-よしかず

1880-1955 明治-昭和時代の教育者。
明治13年5月1日生まれ。明治30年報知新聞社に入社。36年妻羽仁もと子と「家庭之友」(のち「婦人之友」と改称)を創刊。41年婦人之友社を創業。妻と創設した自由学園の卒業生や「婦人之友」友の会会員による生活文化運動をすすめた。長女羽仁説子。昭和30年10月26日死去。75歳。山口県出身。著作に「雑司ケ谷短信」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の羽仁吉一の言及

【羽仁もと子】より

…郷里で小学校教員をしたのち再度上京,1897年報知新聞社に入社し,婦人記者のさきがけとなった。1901年同僚記者の羽仁吉一と結婚して退職。03年に夫妻共同で生活雑誌《家庭之友》(のち《婦人之友》と改題)を創刊,男中心の家に代わる夫婦による家庭づくりを唱え,中産階級の家庭婦人の啓蒙を目ざした。…

【婦女界】より

…商業的な女性雑誌の草分けとして1910年3月に同文館から創刊された。初期には坪内逍遥や上田万年(かずとし)らが寄稿し,編集協力者としてはのちに《婦人之友》を興す羽仁吉一・もと子夫妻がいた。13年1月からは都河(つかわ)竜が雑誌を譲り受け(婦女界社発行),連載小説を重視,小栗風葉や小山内薫,さらに菊池寛などが作品を寄せ,広く迎えられた。…

※「羽仁吉一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android