羽合(読み)はわい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「羽合」の意味・わかりやすい解説

羽合
はわい

鳥取県中部、東伯郡(とうはくぐん)にあった旧町名(羽合町(ちょう))。現在は湯梨浜町(ゆりはまちょう)の北東部を占める地区。日本海に臨む。旧羽合町は1953年(昭和28)長瀬(ながせ)、橋津(はしづ)、宇野、浅津(あそづ)の4村が合併して成立。2004年(平成16)東郷町(とうごうちょう)、泊村(とまりそん)と合併、湯梨浜町となる。国道9号、179号、青谷(あおや)・羽合道路が通じる。鳥取藩政時代、橋津は回米の積出し港で栄え、長瀬は伯耆(ほうき)街道宿場であった。農業が中心で、米作、ナシ・ブドウ栽培などが行われる。開発は古く、国史跡の橋津古墳群などがあり、条里遺構もみられる。湯梨浜町役場そばの湯梨浜町羽合歴史民俗資料館は伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪(はにわ)(国重要文化財)を展示する。このほか尾崎氏庭園(国名勝)、鳥取藩台場跡の橋津台場跡(国史跡)、はわい温泉、東郷湖羽合臨海公園などがある。1996年(平成8)アメリカ合衆国ハワイ島と姉妹都市提携を結び、湯梨浜町成立後も継続している。

[岩永 實]

『『羽合町史』全2冊(1967、1976・羽合町)』『『新修羽合町史』(1994・羽合町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羽合」の意味・わかりやすい解説

羽合
はわい

鳥取県中部,天神川下流東岸,日本海に面する地域。旧町名。 1953年長瀬,橋津,宇野,浅津の4村が合体して町制。 2004年 10月に村,東郷町と合併し湯梨浜町となった。橋津付近には多くの古墳,長瀬に広大な砂丘遺跡があり,橋津古墳群 (別称馬ノ山古墳群) は史跡。江戸時代には米の積出港として栄え,藩倉も置かれた。米のほか二十世紀梨などの果樹を産し,繊維,食品などの中小工場も立地。東郷池の西半部を占め,羽合温泉,名勝尾崎氏庭園などがある。地域の一部は三朝 (みささ) 東郷湖県立自然公園に属する。国道9号線,179号線が通る。

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改訂新版 世界大百科事典 「羽合」の意味・わかりやすい解説

羽合 (はわい)

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世界大百科事典(旧版)内の羽合の言及

【東郷荘】より

…平安末期に成立した河村郡東郷が荘園に転化したものと推定されるが,荘園成立の時期および成立過程等については明らかでない。1258年(正嘉2)11月に作成された有名な〈伯耆国河村郡東郷荘下地中分図〉がその史料的初見で,これによるとその荘域は東郷池周辺地域一帯,今日の鳥取県東伯郡東郷町,羽合町と泊村の一部をその中に含んでいた。下地中分の主体となった地頭名は不明だが,中分は地頭方=東方,領家方=西方を原則とした。…

※「羽合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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