翹岐(読み)ぎょうき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「翹岐」の解説

翹岐 ぎょうき

?-? 百済(くだら)(朝鮮)の王族
義慈王の甥(おい)または子。皇極(こうぎょく)天皇元年(642)義慈王の母の死にともない島流しとなる。同年来日し大使として参内(さんだい),蘇我蝦夷(えみし)宅にまねかれた。のち百済大井(大阪府河内長野市か)にうつった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の翹岐の言及

【蘇我蝦夷】より

…しかしこの直後に,山背皇子一族の覆滅事件を知ったときは大いに怒り嘆いたという。またこの年4月には,百済の政変で亡命してきた翹岐(ぎようぎ)ら一行を迎えて厚遇した。このあと,反蘇我本宗家の動きが強まると,甘檮(あまかし)岡(甘樫丘)に建てた邸の守りを固めたが,入鹿が暗殺されたあと私兵が四散するのをみて邸に火を放ち自殺した。…

※「翹岐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android