聞名寺(読み)もんみようじ

日本歴史地名大系 「聞名寺」の解説

聞名寺
もんみようじ

[現在地名]八尾町今町

井田いだ川とその支流別荘べつそう川に挟まれた地、近世の八尾町いま町にあった浄土真宗本願寺派寺院。桐野山と号し、本尊阿弥陀如来。一三世紀末の天台僧願智房永承が本願寺三世覚如の教化を受け、覚淳と改め、当寺の開基となったという(「越中国桐山聞名寺由来」寺蔵文書、以下断りのない限り同文書)。嘉暦元年(一三二六)九月五日付の奥書のある覚如「執持鈔」を伝蔵しているが、同じ奥書によれば、覚如が自ら筆を染めて飛騨の願智房に与えたとする。これは「慕帰絵詞」巻一〇に記す所伝と符合しているが、この絵詞でも飛騨国の願智房とするように、当寺は現在地に寺基を固めるまでに一一度の移動があったとされる。聞名寺由来によれば、当初願智房は美濃各務かがみ平島へいじま(現岐阜県岐南町)に長く居住していたが、元亨三年(一三二三)には飛騨国吉城よしき高原たかはら吉田よしだ(現同県神岡町)に移住している。開基より数代にわたり高原郷を中心に活動し、応仁二年(一四六八)に婦負郡(現大沢野町)に移り、野積のづみくらたにに道場を建てた。明応元年(一四九二)にいったん吉田村へ帰り、文亀二年(一五〇二)茂住もずみ(現神岡町)一宇建立、大永四年(一五二四)に再び越中に進出し、野積谷乗嶺のりみねに道場を建てた。

聞名寺
もんみようじ

[現在地名]釧路市弥生二丁目

寛永山と号し、本尊阿弥陀如来。仏教系単立(もと真宗大谷派)。明治八年(一八七五)漁場持の佐野孫右衛門により説教所が設けられ、札幌別院から派遣されていた布教使藤法随を住職としたのが始まりという。同一一年函館別院の聞名坊の寺基を移し、同四一年寺号を公称した(状況報文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「聞名寺」の意味・わかりやすい解説

聞名寺【もんみょうじ】

富山県八尾(やつお)町(現・富山市)にある浄土真宗本願寺派の寺。13世紀末の天台僧願智房永承(がんちぼうえいしょう)が本願寺覚如(かくにょ)に帰依して開基したという。当初は美濃(みの)国各務(かかみ)郡平島(岐阜県岐南(ぎなん)町)にあったが,その後各地を転々し,1563年現在地に移って越中に地盤を築いた。本願寺の東西分派の際に二派に分裂したが,1617年には西本願寺派として地歩を固めている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android