胎内文書(読み)たいないもんじょ

改訂新版 世界大百科事典 「胎内文書」の意味・わかりやすい解説

胎内文書 (たいないもんじょ)

仏像神像などの胎内におさめられた古文書。その像の造立や修理の趣旨を記した願文の類が多く,その点では胎内銘と共通した性格の史料である。胎内文書納入の時期は,像の製作時や補修時がほとんどで,中には何度にもわたる補修のたびに,新たな納入品が付け加えられている例もある。仏・神像の胎内には文書以外にもさまざまなものをおさめることがあるが,それら像内納入品は,胎内のすき間におさめるので,当然,平安時代末に寄木造作風が盛んになって,仏像の胎内に空間が必然的に生じるようになってから急増する。しかしそれ以前の一木造や乾漆像,塑像にもまったくないわけではなく,たとえば平安時代の僧奝然(ちようねん)が宋から将来したものとして著名な京都清凉寺の釈迦如来立像は背中に内ぐりをつくってその中に銅銭,文書,五臓内臓のつくりもの),念珠などがおさめられている。像内納入品には,小仏像,舎利,五輪塔,法華経や般若心経などの経典,真言など,いわば仏像に魂をいれるといった意味あいのもののほかに,願文や結縁者交名(きようみよう),さらには願主とその縁者の故人らの消息,遺髪,日用品など,願主たちの祈りが仏像とともに永遠に残ることを願ってこめたと考えられるものがある。

 胎内文書は多く後者に属するもので,造立の趣旨や経緯をのべたり,納入品を書きあげ,また,造立に結縁した人々の氏名を記した願文の類が大半であるが,鎌倉時代以降には,しばしば勧進によって造仏することがあり,こうした場合には,数多くの結縁者の氏名を書き記した交名が納入されることも多い。そのほか,前述清凉寺釈迦像には,奝然が同学の義蔵と仏法興隆を誓い合った〈義蔵奝然結縁手印状〉のように,造立時の願文ではなく発願の遠因となった,願主の生涯にとって重要な文書がおさめられることもあり,さらに,故人の筆にかかる消息を納入して,故人を造仏に結縁させようとした例も少なくない。まれな例では,起請文がこめられたこともあり,これなどは,造立・修造と無関係に,文書を神仏の身近に届け,託そうとしたものと考えられよう。一方,鎌倉覚園寺の十二神将立像の一つ戌神将像には,1277-1689年(建治3-元禄2)までの48通の胎内文書がおさめられており,1372年(文中1・応安5)の市原八幡五月会配分帳のように,東国の中世村落研究に欠かせない史料も含まれていたが,これらは相互には関連のうすい譲状・売券・年貢返抄等で,ある時期にまとめて文書の保存のためにおさめたのではないかとさえ想像できる。

 胎内文書は近代の補修にあたって偶然発見されることが多い。それらの文書は,願主の意図からすれば,他人や後世の人々の目にふれることを予期してはいないのだから,一般の文書と異なり,無病息災や家門の繁栄を願う心情がより正直に吐露されているわけで,古代・中世の人々の意識・心情をうかがう上で貴重な史料となる。たとえば,横浜称名寺弥勒菩薩像におさめられた多くの願文類は,弥勒の世を待つ北条氏(金沢氏)の一族の信仰をうかがわせる史料だし,四日市善教寺阿弥陀如来像胎内の1223-41年(貞応2-仁治2)の藤原実重作善日記は,鎌倉中期の在地領主の信仰生活を知る上で必須の史料となっている。
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百科事典マイペディア 「胎内文書」の意味・わかりやすい解説

胎内文書【たいないもんじょ】

仏像・神像などの胎内に納められた文書で,像内納入品の一種。像の造立や修理の際,像内に小仏像・舎利・経典などのほか,像造立の趣旨,経緯,願主や結縁(けちえん)した人々の名などを記した願文が納められることがあり,胎内文書のほとんどが願文の類である。像内納入品は平安時代の一木造などの像にも例がみられるが,平安時代末から,寄木造の像がさかんに造られるようになるにつれ増加した。鎌倉時代以降,勧進による像造立の際には結縁者の名前を列挙した交名(きょうみょう)が納められるほか,まれに願主と関わりの深い文書や起請文が納められることもあった。他の人の目に触れないことを前提にしていることから,古代・中世の人々の率直な意識・信仰などをうかがわせる資料として貴重である。

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