膳桂之助(読み)ぜんけいのすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「膳桂之助」の意味・わかりやすい解説

膳桂之助
ぜんけいのすけ
(1887―1951)

実業家、財界人。群馬県佐波(さわ)郡伊勢崎(いせさき)町に、薬舗膳浅次郎の三男に生まれる。1914年(大正3)東京帝国大学法科大学卒業。農商務省(商工局監理課)に入り、八幡(やはた)製鉄所副参事、本省工務局労働課長、能率課長、農務省市場課長、農務局繭糸課長を経て、26年農林省書記官を退官し、日本工業倶楽部(くらぶ)主事就任。31年(昭和6)全国産業団体連合会設立とともに常任理事に就任し、翌年日本工業倶楽部常任理事に選任される。34年日本団体生命保険(株)が設立され専務、社長、会長を歴任。戦後46年(昭和21)貴族院議員国務大臣、経済安定本部総務長官、物価庁長官に就任。47年公職追放の指定を受ける。

[浅野俊光]

『吉野孝一編『膳桂之助追想録』(1959・日本団体生命保険株式会社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「膳桂之助」の意味・わかりやすい解説

膳桂之助
ぜんけいのすけ

[生]1887.7.21. 群馬
[没]1951.11.25.
昭和期の実業家,政治家。東京帝国大学を卒業後,農商務省に入り,八幡製鉄所を経て,1926年に日本鉱業倶楽部常務理事,全国産業団体連合会常務理事。 33年には日本団体生命保険を設立し,専務・社長を歴任。 37年,第 23回 ILO総会に,使用者側の代表として出席。 38年に産業報国連盟理事,40年に大日本産業報国会理事に就任。第2次世界大戦後,46年に中央労働委員会の初代使用者側代表となると同時に,勅選貴族院議員に選ばれる。第1次吉田内閣の国務大臣,経済安定本部総務長官,物価庁長官などを歴任し,47年には参議院選に出馬したが,公職追放により当選を辞退した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「膳桂之助」の解説

膳桂之助 ぜん-けいのすけ

1887-1951 大正-昭和時代の実業家。
明治20年7月21日生まれ。農商務省の課長をへて,日本工業倶楽部(クラブ)にはいる。昭和9年日本団体生命保険を創立し,のち社長。21年第1次吉田内閣で経済安定本部初代総務長官をつとめる。昭和26年11月25日死去。64歳。群馬県出身。東京帝大卒。

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