自由党(1891年結成)(読み)じゆうとう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

自由党(1891年結成)
じゆうとう

1891年(明治24)3月20日、立憲自由党を改称して成立した政党。議会内で最大の勢力をもちながら、第1議会での土佐派議員の裏切りによって分裂状態となった立憲自由党は、党名を自由党に改称し、板垣退助(たいすけ)を総理に迎えることで党の再建を行った。しかし新たに議員党員と院外団との対立先鋭化し、同年10月の党大会で議員団の優位と総裁専制の体制へと党組織・運営を変更したため、従来の各地での大衆的闘争を基礎に党運営を行うという体制は崩れ、事実上、自由民権政党としての性格を喪失した。そのため92年6月院外団の中心大井憲太郎(けんたろう)は脱党し、以後党内では河野広中(こうのひろなか)=東北派、星亨(とおる)=関東派、林有造(ゆうぞう)=土佐派、松田正久(まさひさ)=九州派が相互に対立しつつ、しだいに政府に接近した。とくに日清(にっしん)戦争前後、立憲改進党が対外強硬論を主張するなかで、逆に政府与党化し、96年4月板垣は第二次伊藤博文(ひろぶみ)内閣内相として入閣、また98年6月には立憲改進党の後身進歩党と合同して憲政党を結成し、第一次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣(隈板(わいはん)内閣)を組織した。これは同年11月分裂したが、旧自由党主流は1900年(明治33)伊藤の立憲政友会結成に参画した。

[猪飼隆明]

『升味準之輔著『日本政党史論 第2巻』(1966・東京大学出版会)』『坂野潤治著『明治憲法体制の確立』(1971・東京大学出版会)』

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