興世王(読み)おきよおう

精選版 日本国語大辞典 「興世王」の意味・読み・例文・類語

おきよ‐おう ‥ワウ【興世王】

平安中期の地方官王族だが、系統未詳。武蔵権守。平将門客人となり、将門反乱をすすめた。天慶三年(九四〇)将門敗死後、上総国で討たれた。

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朝日日本歴史人物事典 「興世王」の解説

興世王

没年:天慶3.2.19(940.3.30)
生年:生年不詳
平安中期の官人。系譜は明らかでない。天慶1(938)年2月,武蔵権守として在任中,国司の部内巡検を拒否する足立郡司武蔵武芝対立,平将門の仲裁で和解した。翌年,新司の武蔵守百済貞連が着任するとこれとも対立,その結果下総国の将門を頼って寄宿し,将門の副将のような存在となった。『将門記』によれば,将門は王から,犯した罪に変わりがないのなら坂東全体を虜掠しても同じことだとそそのかされてその気になり,「新皇」の地位についたというが,事実なら王の一言が将門の命取りになったことになろう。将門敗死の5日後,上総国で藤原公雅に討たれて没している。

(瀧浪貞子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「興世王」の解説

興世王 おきよおう

?-940 平安時代中期の官吏
武蔵権守(むさしのごんのかみ)在任中の承平(じょうへい)8年(938)足立郡司の武蔵武芝とあらそい平将門(まさかど)の仲介で和解する。翌年,新任の国司百済(くだらの)貞連とも対立。将門のもとに身をよせ,坂東征服をすすめたとされる。天慶(てんぎょう)3年2月19日上総(かずさ)(千葉県)で朝廷の追討軍に討たれた。

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