般若院(読み)はんにやいん

日本歴史地名大系 「般若院」の解説

般若院
はんにやいん

[現在地名]境町志鳥

志鳥しとりの中央に所在。銀杏大木本堂が建つのみ。大悲山と号し真言宗豊山派本尊阿弥陀如来。磐若院とも記す。初め芒山ぼうやまの地にあり、文化二年(一八〇五)北原きたはらの地、さらに数年を経て現在地に移ったと伝えられる。宝永三年(一七〇六)の指出帳(長野監治文書)に「真言宗、般若院、本寺古河御領分前林村東光寺、高五石弐斗六升九合、境内四畝歩、香取宮、星宮、日光権現、浅間社、愛宕宮、伊勢宮、大日権現、三宝薬師、薬師堂、観音堂、堂宮合拾壱ケ所、別当般若院支配」とある。

般若院
はんにやいん

[現在地名]徳島市寺町

てら町のほぼ中央にある。法輪山と号し、真言宗御室派。本尊は釈迦如来。寺伝および「阿波志」などによると、初め尾張蜂須賀はちすか(現愛知県美和町)にあって大空寺と号し天台宗寺院であったが、のち蜂須賀氏に従って播州龍野を経て山山麓に移り、さらに寺町に移った。宥意のとき真言宗に転じたという。だが阿州三好記大状前書・阿州三好記並寺立屋敷割次第(徴古雑抄)には戦国期に板野いたの勝瑞しようずい(現藍住町)にあった寺院として般若院があげられる。

般若院
はんにやいん

[現在地名]熱海市伊豆山

伊豆山いずさん岸谷きだににあり、走湯山と号し、高野山真言宗。もとは伊豆山神社の東側にあった。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉小田原攻めの際に、伊豆山権現と別当寺密厳みつごん院も焼かれたが、文禄元年(一五九二)徳川家康は伊豆山権現の復興を志し、高野山から快運を招いて伊豆山別当職に補任し、般若院の院号を与え、復興にあたらせた。その後は高野山系の僧が伊豆山の別当職を受継ぐこととなった(「宥信房快盛願書写」伊豆山神社文書)

般若院
はんにやいん

[現在地名]龍ケ崎市根町

町の北にある。金剛山観仏寺と号し、天台宗、本尊は聖観音。寺伝によれば、天元元年(九七八)貝原塚かいはらづかに創建され、大永年間(一五二一―二八)現在地に移るという。天正年間(一五七三―九二)に定雄が中興土岐氏の祈願所となり、寛永年間(一六二四―四四)に伊達氏の位牌所となる。

享保一三年(一七二八)に当寺を訪れた伊達吉村は「鹿島道の記」(「利根川図志」所引)に「大統寺、盤若院などいへる寺に行ぬ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の般若院の言及

【走湯山】より

…静岡県熱海市伊豆山に鎮座する伊豆山神社の古名に由来する名称で,伊豆山神社は伊豆山権現,走湯権現,略して走湯山ともいった。真言宗般若院は同社の別当寺である。同神社の在所伊豆山は中世以来社領で,近世になると賀茂郡伊豆山村が成立する。…

※「般若院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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