船田一琴(読み)ふなだ・いっきん

朝日日本歴史人物事典 「船田一琴」の解説

船田一琴

没年:文久3(1863)
生年:文化9(1812)
江戸末期の装剣金工家。金工家船田寛常の子。羽前国庄内(山形県)五日町生まれ。はじめ勇太郎,のちに庄助,義長という。幼くして父と死別し,8歳のころ熊谷派の金工家義信が母と結婚し養父となり,そのもとで彫技の基礎を学んだ。文政9(1826)年15歳のとき江戸に出て義信の師である熊谷義之門下に入り,義長を名乗った。その後,京都の後藤一乗の門下に移り,天保5(1834)年24歳で,師の一の字を許されて一琴を名乗り,江戸に戻って仕事をはじめた。作風は四神図,竜,花卉など一乗風のものが多かったが,次第にそれを脱し,独自の境地を作りあげた。「富士図鐔」(個人蔵)などにみる甲鋤彫りと呼ぶすくい鏨の技法は彼の特技である。郷里の庄内藩酒井家の抱え工をも勤め,船田家を再興して江戸と庄内を行き来しながら,多くの門弟の養成にも努めた。

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船田一琴」の解説

船田一琴 ふなだ-いっきん

1812-1863 江戸時代後期の装剣金工。
文化9年生まれ。金工船田寛常の子。熊谷義信養子となり,義信の師熊谷義之の門にはいる。のち京都の後藤一乗にまなび,江戸で開業。郷里出羽(でわ)の鶴岡藩(山形県)藩主酒井家の抱え工もつとめた。文久3年10月18日死去。52歳。前名は義長。通称は庄助。

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