良弁(読み)ロウベン

デジタル大辞泉 「良弁」の意味・読み・例文・類語

ろうべん〔ラウベン〕【良弁/朗弁】

[689~774]奈良時代華厳宗の僧。日本華厳宗の第二祖。近江おうみまたは相模の人。通称、金鐘こんしゅ行者。義淵法相ほっそうを、新羅しらぎ審祥しんじょうに華厳を学び、金鐘寺を建立。東大寺建立に尽力し、初代別当、のち僧正となった。りょうべん。

りょうべん〔リヤウベン〕【良弁】

ろうべん(良弁)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「良弁」の意味・わかりやすい解説

良弁
ろうべん
(689―773)

奈良時代の華厳(けごん)宗、法相(ほっそう)宗の学僧。東大寺の開山。百済(くだら)系渡来人の後裔(こうえい)。その出身地は近江(おうみ)国(滋賀県)あるいは相模(さがみ)国(神奈川県)と伝える。義淵(ぎえん)に師事して法相教学を学び、728年(神亀5)に聖武(しょうむ)天皇の皇太子基(もとい)親王(727―728)の夭死(ようし)によって建てられた金鐘山房(寺)の智行僧(ちぎょうそう)の一人に選ばれた。740年(天平12)に大安寺審詳(しんじょう)(審祥。?―742)を講師として『華厳経』の研究を始め、743年正月には『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の講説を行うなど、仏教界を先導し、当山寺が大和(やまと)国分寺、さらに盧遮那(るしゃな)大仏造立の地となる機縁をつくった。大仏造像にあたっては佐伯宿禰今毛人(さえきのすくねいまえみし)や行基(ぎょうき)などとともに聖武天皇を助け、752年(天平勝宝4)4月の大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)のあと、5月1日に初代の東大寺別当に任ぜられた。伝戒師鑑真(がんじん)一行が東大寺に詣(もう)でたときはこれを迎え、聖武上皇の死去にあたっては生前の看病の功により、また仏教界の領袖(りょうしゅう)として大僧都(だいそうず)となり、763年(天平宝字7)9月に僧正(そうじょう)の極官に補せられた。晩年には石山寺(いしやまでら)の造営にも関係し、宝亀(ほうき)4年閏(うるう)11月16日に85歳で没した。

 現今東大寺開山堂には、1019年(寛仁3)11月に有慶(ゆうきょう)(986―1071)によって造像された良弁坐像(ざぞう)が安置され、その右手に持つ木造如意(にょい)は生前所持のものと伝え、奈良時代の製作にかかるものである。

[堀池春峰 2017年10月19日]

『堀池春峰著『南都仏教史の研究 上』(1980・法蔵館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「良弁」の意味・わかりやすい解説

良弁 (ろうべん)
生没年:689-773(持統3-宝亀4)

奈良時代の華厳・法相(ほつそう)の僧。東大寺の開山。百済系渡来人の後裔。近江あるいは相模出身と伝える。義淵に師事して法相宗を学び,728年(神亀5)に聖武天皇の皇太子基親王の冥福を祈る金鐘山房の智行僧の一人に選ばれ,740年(天平12)大安寺審詳(祥)(しんじよう)を講師として《華厳経》の研究を始め,金鐘寺が大和国国分寺,さらに盧舎那大仏造像の地となる機縁をつくった。745年《金光明最勝王経》の講説を行って仏教界を先導し,盧舎那大仏造像に当たっては,造東大寺司次官佐伯今毛人(さえきのいまえみし),行基などとともに聖武天皇を助け,752年(天平勝宝4)4月の大仏開眼ののち,5月1日に初代の東大寺別当に任ぜられた。754年2月唐僧鑑真一行が東大寺に詣でたときこれを迎え,聖武上皇の死去に当たっては生前看病の功により,また仏教界の領袖として大僧都となった。760年(天平宝字4)7月,慈訓,法進らとともに僧階の改正を上奏して教学の振興を図り,763年9月僧正の極官に補せられた。晩年は石山寺の造営にも関係し,773年(宝亀4)閏11月16日入滅した。《続日本紀》には同年11月24日に僧正良弁卒すとし,使者を派遣して弔問したと記している。今日伝わる良弁僧正像は,1019年(寛仁3)11月16日に有慶が良弁忌を創行するのに際して作られたといわれ,持物の木造如意は奈良時代の製作にかかり,生前所持のものと伝えている。
東大寺
執筆者:

良弁は相州大山(おおやま)を開いたといわれ,その説話は大山縁起として江戸期の大山信仰とともに流布し,また《東海道名所図会》などによって広く世に知られるようになったとみられる。良弁は幼時に金色の鷲にさらわれ,両親は山々を探索したが行方不明となった。のち東大寺の義淵僧正に撫育され,良弁僧正となっていたことが判明,母子はめでたく再会したと伝えられる。この伝説をそのまま劇化した浄瑠璃が《二月堂良弁杉の由来》(1887年2月彦六座)で,明治期の新作浄瑠璃の佳作として評価を得,のち歌舞伎へも移入された。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「良弁」の意味・わかりやすい解説

良弁
ろうべん

[生]持統3 (689)
[没]宝亀4 (773).11.24. 奈良
奈良時代華厳宗の僧。朗弁とも書く。東大寺開山。通称を金鐘行者といった。渡来人の子孫とも,近江国または相模国の人ともいわれる。2歳のときワシにさらわれて,奈良の春日神社のスギの木に捨てられ,義淵僧正に育てられたという逸聞が知られる。義淵について法相,唯識(→唯識説)を学んだ。天平5(733)年羂索院を建立し,さらに毘盧遮那仏の大像を造立,これを金鐘寺とした。同 12年この金鐘寺に新羅の僧審祥を講師として招き,華厳講を始め,最初の『華厳経』の講説を行なった。同 14年金鐘寺は大和国分寺(→国分寺)に指定され,同 18年金鐘寺を改めて東大寺とする工事が起こされると,橘諸兄行基らとともにこれに尽力,その初代別当となった。天平勝宝3(751)年少僧都(→僧都)となり,同 8年鑑真とともに大僧都に任じられた。天平宝字4(760)年8月退廃した仏教界の粛正のために,慈訓,法進とともに,僧階を 4位13階に改めるべきことを奏上し,宝亀4(773)年僧正となった(→僧位)。

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朝日日本歴史人物事典 「良弁」の解説

良弁

没年:宝亀4.閏11.16(774.1.2)
生年:持統3(689)
奈良時代の僧。東大寺創建の中心人物。死亡は16日ではなく24日との説もある。出自については,相模国(神奈川県)で漆部氏とする説と,近江国(滋賀県)志賀里で百済氏とする説とがある。その前半生については史料がなく不詳。『日本霊異記』中巻第21話にみえる金鷲優婆塞を良弁と同一人物とみるのが古来の説であるが,反論もある。義淵を師として法相宗を学んだという。やがて東大寺の前身である金鐘寺で活躍,天平12(740)年には新羅人の学僧審祥 を招いて華厳経講説を行い,華厳教学を学んだ。このころから正倉院文書に多く名がみえるようになるが,経典貸借関係文書では『華厳経』などと並んで雑密系の経典が目立つ。雑密系の呪術にも関心が強かったと思われる。天平勝宝3(751)年4月少僧都。同4年4月東大寺大仏開眼供養が行われると,5月に初代東大寺別当(寺務統轄の最高責任者)となった。聖武太上天皇の病気に際しては,看病禅師として昼夜にわたって法力を傾け,同8年上皇が死去すると,5月24日看病の功をもって大僧都に昇進,あわせて父母両戸の課役も免ぜられた。天平宝字4(760)年7月には僧尼位(三色十三階制)の整備に中心的役割を果たした。同5年東大寺別当を勇退,石山寺の造立に尽力した。同8年恵美押勝の乱が起こると僧正に昇進した。弟子に智憬,安寛,道鏡,実忠 などがいる。<参考文献>『東大寺要録』『続日本紀』,堀池春峰『南都仏教史の研究 東大寺篇』,平岡定海『日本寺院史の研究』,岸俊男『日本古代文物の研究』

(吉田一彦)

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百科事典マイペディア 「良弁」の意味・わかりやすい解説

良弁【ろうべん】

奈良時代の僧。朗弁とも記す。近江(おうみ)(または相模(さがみ))の人。幼時,大ワシにさらわれ,大和(やまと)の春日大社の前の杉(俗称良弁杉)に捨てられ,義淵(ぎえん)に救われたと伝える。法相(ほっそう)を学び,次いで新羅僧審祥(しんじょう)に華厳(けごん)を学んで,華厳宗の祖とされる。のち奈良東山に隠棲(いんせい)し,733年金鐘(こんしょう)寺を建立。聖武(しょうむ)天皇は羂索院(けんじゃくいん)(三月堂)を下賜。東大寺造営の際は別当となり,760年僧正(そうじょう)に任じられた。通称は金鐘行者。
→関連項目石山寺東大寺申し子

良弁【りょうべん】

良弁(ろうべん)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「良弁」の解説

良弁
ろうべん

689~773.閏11.16

奈良時代の僧。相模国の人。俗姓漆部(ぬりべ)氏。一説に近江国志賀郡の百済氏。義淵(ぎえん)に法相を,審祥(しんじょう)に華厳(けごん)を学ぶ。733年(天平5)に建てられた金鐘(こんしゅ)寺で,740年に審祥を講師に招いて華厳経講説を開始した。744年知識華厳別供を設け,翌々年法華会(ほっけえ)を創始した。751年(天平勝宝3)少僧都(そうず)に任命され,翌年大仏開眼供養ののちに初代東大寺別当に就任したという。756年大僧都となり,760年(天平宝字4)僧位制改正を上奏した。石山寺(滋賀県大津市)造営にも尽力し,764年僧正となる。根本僧正・金鐘菩薩と称され,奈良後期の東大寺や仏教界で隠然たる実力を誇った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良弁」の解説

良弁 ろうべん

689-774* 奈良時代の僧。
持統天皇3年生まれ。はじめ義淵(ぎいん)に法相(ほっそう)をまなぶ。金鐘寺(現東大寺法華堂)を建立し,審祥(しんじょう)をまねいて華厳(けごん)経講をひらき,華厳宗をひろめた。大仏造立など東大寺の発展につくし,天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年初代別当。のち大僧都,僧正。晩年には近江(おうみ)(滋賀県)石山寺を造営した。宝亀(ほうき)4年閏(うるう)11月16日死去。85歳。通称は金鐘行者。

良弁 りょうべん

ろうべん

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旺文社日本史事典 三訂版 「良弁」の解説

良弁
ろうべん

689〜773
奈良時代の東大寺の僧
近江(滋賀県)または相模(神奈川県)の人。初め法相宗を学んだが,740年新羅 (しらぎ) 僧審祥 (しんしよう) を講師として招き,華厳宗を広めた。聖武天皇の東大寺建立に協力し,初代別当となった。764年僧正になった。

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世界大百科事典(旧版)内の良弁の言及

【石山寺】より

…山号は石光山。東大寺造営のとき,近江からの用材を集荷した〈石山院〉という役所をもとに,東大寺の僧良弁(ろうべん)が762年(天平宝字6)ごろ,これを寺院に改めたのが当寺の始まりである。そののち平安時代,醍醐寺を開創した聖宝(しようぼう)が初代の座主(ざす)になって,当寺はこれまでの東大寺末の華厳宗の寺から,真言密教の寺院となった。…

【春日山】より

…また水分(みくまり)の神の山として信仰され,香山から地獄谷石窟仏一帯にかけては死後魂のおもむく他界と観念されていた。このほか,春日山は遣唐使が航海安全を祈願した山であり,733年(天平5)金鷲(こんす)優婆塞良弁(ろうべん)が執金剛神悔過を修したことに代表されるように,奈良・平安時代には山岳仏教の霊地ともされた。【宮本 袈裟雄】。…

【東大寺】より

…聖武上皇に代わって開眼師にはインド僧菩提僊那(ぼだいせんな),講師は隆尊,唐僧道璿(どうせん)が咒願師,物故していた行基に代わって高弟景静が都講に起用された(大仏開眼)。金鐘寺以来当寺の建立に尽力した良弁(ろうべん)は,同年5月に東大寺別当に補せられ,諸大寺の別当職の先例を開いた。中世には発願聖武天皇,開眼師菩提僊那,勧進行基と良弁を四聖と称し,4人の協力による創建とみて,四聖建立の伽藍ともいわれた。…

【二月堂良弁杉の由来】より

…あるとき二月堂境内の杉の大木に,30年前鷲にさらわれた愛児を捜していると貼紙をする。その貼紙を,参詣に来た東大寺の良弁上人が見て,かつて自分が鷲から落ちて,その杉の枝にかかっていたのを救われたという師の話を思い起こし,驚いて貼紙の主をたずねたところ,現れたのは年老いて女乞食に落ちぶれた渚の方であった。話の内容と持っていた証拠の品から,まぎれもない実の母子であることがわかる。…

【申し子】より

…豊臣秀吉は,母がその胎内に日輪が入った夢を見て生まれた子といわれ,日吉山王の申し子である。高僧伝の例としては,良弁(ろうべん)僧正の話が名高く,伊豆三島大明神の縁起によると,伊予国三島郡の長者清政が,初瀬(長谷)の十一面観音に願って授けてもらった子が後にワシに取られ,杉の梢に置かれていたのを助けられてさまざまな曲折を経て高僧となったとある。昔話にも申し子譚が多くみられ,そこでは,申し子は多くの場合,ヘビ,カエル,タニシその他の信仰動物の形をとってあらわれる。…

【ワシ(鷲)】より

…古くはワシが天から子どもたちを連れてきたという信仰もあり得たかと考えられる説話がある。《日本霊異記》には皇極天皇の代にワシにさらわれた赤子が孝徳天皇の代にその父にめぐり会うことができた話をのせ,また《東大寺要録》には,この寺の創始者良弁僧正は関東からワシにさらわれて山城国につれてこられた子であるという話を記している。このような物語の背景には霊鳥であるがゆえに子どもたちを食うことなく運んだのだという考えがよみとれる。…

※「良弁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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