良遍(読み)りょうへん

改訂新版 世界大百科事典 「良遍」の意味・わかりやすい解説

良遍 (りょうへん)
生没年:1184-1252(元暦1-建長4)

鎌倉期の法相宗の学僧。字は信願。三位已講(いこう),蓮阿とも称した。京都の人。興福寺勝願院に入り,光明院覚遍につき法相・因明(論理学)を修学した。1221年(承久3)維摩(ゆいま)会の問者,29年(寛喜1)5月の宮中の最勝講に問者をつとめ,翌年維摩会の講師をへてのち法印権大僧都に任ぜられた。31年大和国生駒の竹林寺に隠棲し,唐招提寺覚盛について具足戒を受けたのち律宗について修学し,浄土教にも深い関心をよせ,大和白毫(びやくごう)寺に安養の世界を求めて隠遁した。46年(寛元4)東福寺の円爾弁円が《宗鏡録》を講じたとき聴聞して感じるところがあり,《真心要決》を著した。弟子尊円が再興した東大寺知足院に留住して法相・律の道場とし,51年(建長3)に遺戒状を記して覚澄に知足院を譲り,みずからは竹林寺に遁れ,翌年没した。

 その著書は多く,法相・律・浄土にわたり,門弟に覚澄,円照,宗性らがあった。世に生駒僧都とか生駒良遍といわれ,その高潔な心情学識は高く評価された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「良遍」の意味・わかりやすい解説

良遍
りょうへん

[生]建久4(1193)/建久5(1194)? 京都
[没]建長4(1252).8.28. 奈良
鎌倉時代の法相宗僧。幼くして興福寺に出家し法相を学ぶ。のち諸寺を歴遊して学を修め,特に因明 (仏教論理学) に長じて名声を高めた。寛喜2 (1230) 年維摩会の講師となり,次いで法印権大僧都となる。覚盛とともに戒律復興をはかり,また東大寺知足院を再興するなど仏教興隆に尽力した。主著『真心要決』『因明大疏私鈔』『観心覚夢鈔』『宗鏡録要義』。

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