芸予地震(読み)ゲイヨジシン

デジタル大辞泉 「芸予地震」の意味・読み・例文・類語

げいよ‐じしん〔‐ヂシン〕【芸予地震】

瀬戸内海安芸灘あきなだ震源地とする地震
明治38年(1905)6月2日に発生したマグニチュード7¼の地震。瀬戸内海を挟んだ広島県南部と愛媛県北部で被害が大きく、建造物倒壊のほか鉄道・水道堤防などの被害が多く出た。
平成13年(2001)3月24日に発生したマグニチュード6.7の地震。広島県の河内町大崎町熊野町で震度6弱を観測。3月26日には震度5強の余震が発生した。呉市傾斜地などが甚大な被害にあった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芸予地震」の意味・わかりやすい解説

芸予地震
げいよじしん

2001年3月24日午後3時27分頃,瀬戸内海安芸灘で発生したマグニチュードM )6.7の地震。気象庁による正式名称は「平成13年(2001年)芸予地震」。震央北緯 34°07.2′,東経 132°42.5′,震源の深さは約 51km。最大震度は 6弱で,広島県河内町,大崎町,熊野町で記録されたほか,中国地方,四国,九州東部で震度 5弱以上の強いゆれが観測された。広島県,愛媛県,山口県を中心とした被害は,死者 2人,重傷 43人,軽傷 245人,住家の全壊 70棟,半壊 774棟,一部損壊 4万8994棟(総務省消防庁)。呉市などでは民間宅地の擁壁が崩れる被害が多発,また広島港などで液状化が発生した。四国沖から日本列島下に沈み込んだフィリピン海プレート内部で発生した地震であるため,震源がやや深い。地震波から推定される断層は,東西方向に引き伸ばされた正断層で,フィリピン海プレートの変形に伴って地震が発生したとみられる。震源域付近では 1649,1686,1857,1905年に M 7.0から M 7.3の地震が発生していた。

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世界大百科事典(旧版)内の芸予地震の言及

【地震】より


[中国・四国地方の地震]
 南海トラフ沿いの巨大地震の震源域は高知県沖に及んでいるが,四国・中国の内陸部では,大地震は概して少ない。しかし,日本海側には1872年(明治5)の浜田地震,1943年鳥取地震(M7.2)のような例もあり,また瀬戸内海西部でも1905年芸予地震(M7.1)のようなかなりの大地震が起こる。
[九州・沖縄地方の地震]
 琉球海溝の内側にも,場所によっては1911年奄美大島沖地震(M8.0)のようにM8クラスの巨大地震が起こる。…

※「芸予地震」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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