若松若太夫(読み)わかまつわかだゆう

改訂新版 世界大百科事典 「若松若太夫」の意味・わかりやすい解説

若松若太夫 (わかまつわかだゆう)

説経節太夫。初世と2世がある。(1)初世(1874-1948・明治7-昭和23) 本名松崎大助。埼玉県熊谷市出身。家は農商兼業であったが,祖父が観世流能の師匠,父は祭文の名人という環境から11歳で説経節を志して上京,〈説経祭文〉の薩摩辰太夫に入門した。天性修業が相まって習熟し,16世家元を称したが,1902年義太夫節,新内節,講釈などの詞章曲節を加味して〈改良説経節〉を称して若松派を創立,名も若松若太夫と改めて初世家元となった。08年の演奏会では人形を操らせ,その美音声量,豪快にして繊麗,卑俗を脱した気品ある語り口で人気を得,彼の名が公になった。その後,嘉納治五郎らの後押しで政財界人と親交を結ぶほどの名声を博した。(2)2世(1919-99・大正8-平成11)本名松崎寛。初世の13番目の子として東京小石川に生まれた。8歳のとき浅草市村座で初舞台。父譲りの天性をうたわれて,父と興行をともにして育った。1948年暮れの父の死後時流に合わなくなった説経節を棄て鋳物工となったが,過労などが原因で先天性の弱視が進行し,酒害も手伝って失明,強度の難聴をきたして失意の生活を送った。しかし身障者ヘルパーの助けで80年に再起し,再び豊かな情感と声量,美声聴衆を魅了し多くの舞台を務めている。82年東京都無形文化財に指定された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「若松若太夫」の意味・わかりやすい解説

若松若太夫
わかまつわかたゆう

[生]1874. 熊谷
[没]1948
説経節の太夫。本名は松崎大助。薩摩 (若松) 辰太夫の門弟。芳太夫,崎太夫を経て,1902年若松若太夫と名のった。 08年美音会に出演し,『小敦盛一代記』捨て子の段を語り,説経節の芸術的地位を高めた。美声家として有名で,埼玉,多摩,八王子などに細々と残っていた説経節を,近代的で上品なものに改訂し芸能界に進出させた功績は大きい。 46年武蔵大掾と名のり,実子寛に若太夫の名を譲った。代表曲は『苅萱』『熊谷蓮生坊』『勧進帳』。

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