精選版 日本国語大辞典 「若松」の意味・読み・例文・類語
わか‐まつ【若松】
わかまつ【若松】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
陸奥国会津郡の城下町。現在の福島県会津若松市の中心部。1189年(文治5)源頼朝の奥州攻めの勝利によって会津に所領を与えられた三浦一党の佐原氏は,のち蘆名氏を名のり,14世紀,直盛のとき小高木(現在の若松城跡)に館を造り,東黒川館と称し住したという。黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。
90年,豊臣秀吉から会津の地を与えられ黒川へ入った蒲生氏郷(がもううじさと)は,郷里近江国蒲生郡の若松の森にちなんで,黒川を若松と改めた。氏郷は,これまで郭内にあった大町,馬場町などの町屋を郭外に移し,近江国日野町から従ってきた商工業者には日野町(のちの甲賀町)を割り出した。商人,手工業者の住む町屋は郭外に,侍屋敷は郭内に画然と区別し,雑居を改めた。特別の由緒をもつ寺社以外は郭外に移した。若松町の基本的なあり方は氏郷によって作られたといえる。大町,馬場町,本郷町,三日町,桂林寺町,六日町には六斎市が開かれた。1593年(文禄2)には天守閣も完成,毎日どこかの町で市が開かれ,若松は〈奥州の都〉とうたわれるほどのにぎわいをみせたという。大町,一之町と七日町とを分ける札辻からは,東へ白河・二本松街道,南へ下野街道,西へ越後街道,北へ米沢街道が走り,若松は交通の要地であった。98年(慶長3)上杉景勝120万石,1601年蒲生秀行60万石,27年(寛永4)加藤嘉明40万石と領主は交替,そして43年に入部した23万石保科(のち松平)氏が幕末まで会津を支配した。その間,若松は城下町として会津地方の政治,経済の中心地であった。2ヵ所に町奉行所が置かれ,町々では検断,名主が町政に当たった。延宝(1673-81)ごろからは市に代わって常設店舗が町々に増えていき,古手(ふるて)・茶・肴・小間物などを扱う問屋・小売の商人,酒造・塗・鍛冶などに従事する手工業者を,筆頭検断簗田氏が商人司としてたばねていた。
会津戦争は,若松の武家屋敷の大半と町屋の3分の1を灰にした。町は大きな打撃をうけた。しかし1868年(明治1)民政局設置,翌年には巡察使が来て町の復興に当たった。72年株仲間は廃止され,商工業は自由に行われるようになった。漆器業,酒造業などが盛んとなり,米,繭,木材などが若松を経由して他地方へ売り出された。産業の発展は,金融機関の設置を促し,第三十一国立銀行,安田銀行会津支店,会津銀行が次々に開設された。貨物を輸送する内国通運会社が生まれ,郵便取扱所,県裁判所の若松出張所も設置された。若松県を経て76年福島県に所属すると,第11区会所が若松に置かれ,若松は依然会津地方の中心であった。89年市町村制施行により若松町となる。人口2万1100人余。99年,郡山~若松間に岩越鉄道が開通すると,さらに町は発展を約束された。同年市制施行,若松市となる。55年市名を会津若松市と改めた。
→会津藩
執筆者:丸井 佳寿子
福岡県北部,北九州市の区名。1914年市制施行の若松市が,63年小倉など4市と合体して北九州市となった際に区制を施行。人口8万5167(2010)。若松半島のほぼ全域を占め,東半の中生層の山地と西半の低い丘陵地からなる。市街地は東端の洞海旧湾口に発達している。近世には福岡藩の米蔵,焚石会所などが設けられ,遠賀川~堀川運河~洞海湾のルートで結ばれて,米や石炭が積み出されていたが,明治前期までは小集落にすぎなかった。1890年築港会社が創業し,翌年筑豊鉄道(現,JR筑豊本線)が開通してから筑豊炭田を後背地とする全国一の石炭積出港に発展した。並行して鉄鋼や炭鉱関連,港湾立地型の諸工業も発達し,北九州工業地帯の一角を形成してきた。1950年代末からの石炭産業の急激な衰退で深刻な打撃を受けた。62年戸畑区との間に若戸大橋が通じ,69年からは響灘(ひびきなだ)海岸に大型工業団地が造成され,鉄鋼,コークスなどの工場が立地した。
西部の丘陵地帯では野菜栽培も盛んであるが,宅地開発も進行している。沖合8kmの白島には洋上石油備蓄基地(560万kl)が建設された。東端の市街地背後には高塔山公園があり,火野葦平の文学碑が建つ。北岸は玄海国定公園の東端をなす脇田(わいだ)海岸など美しい海岸が続く。
執筆者:土井 仙吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…福島県会津地方北東部にある市。1899年北会津郡若松町が県内最初の市制を施行,若松市となり,1955年会津若松市と改称,同時に北会津郡の大部分を占める湊ほか6村を編入した。人口11万9640(1995)。…
…18世紀に入ると流域農村で石炭やハゼ蠟の生産が進んだので,それらの輸送が盛んとなった。1762年(宝暦12)の堀川の完成によって,冬の季節風をまともに受ける芦屋をさけ,直接に洞海湾内の若松への艜の航行が可能になったので,以後,商品の多くは若松に送られるようになった。幕末には年間,延べ2万艘の艜が上下し,約8万tの米,石炭を積み下ろしたと推定される。…
…福岡県北東部,北九州市の若松,戸畑,八幡東,八幡西4区に囲まれた湾。石峰・皿倉両山塊間の地溝が入海となったもので,東西に細長く,湾奥まで約8kmある。…
※「若松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新