朝日日本歴史人物事典 「若柳寿童(初代)」の解説
若柳寿童(初代)
生年:弘化2.6.23(1845.7.27)
日本舞踊若柳流創始者で,柳橋花柳界の大師匠。本名若林勇吉。前名花柳芳松,若柳吉松。還暦に寿童と改名。江戸新吉原の引手茶屋見吉屋の末子。6歳から踊りを習い,のち初代花柳寿輔に入門。まもなく師の幼名を許されて振付助手や柳橋の出稽古を務めたが,父の死を契機に舞踊を止め職を転々とする。30歳のころ舞踊界に戻り,49歳で花柳流を破門され若柳流を樹立した。初代寿輔没後,衰退した花柳流から復帰を望まれたほど優秀な人材。寿童の名跡はかなりの期間をおいて昭和63(1988)年に3代目宗家若柳寿邦が2代目を襲名,翌年に没した。<参考文献>郡司正勝・江口博編『日本舞踊大系/正派若柳流』
(丸茂祐佳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報