若狭忠季(読み)わかさ・ただすえ

朝日日本歴史人物事典 「若狭忠季」の解説

若狭忠季

没年承久3.6.14(1221.7.5)
生年:生年不詳
鎌倉時代前期の武将。津々見氏とも称す。島津忠久の弟。源頼朝庶子と伝えるが事実ではなく,頼朝の乳母比企尼の長女惟宗広言との間に生まれたのが忠久と忠季であるという。建久7(1196)年9月,若狭国の有力在庁稲葉時定が失脚したあとをうけ,若狭国守護職,時定所帯跡地頭職に補任された。この後有力御家人として将軍に仕えていたが,建仁3(1203)年末に所職を没収された。同年9月の比企能員滅亡に縁座したものと推定される。但しこれらは承久2(1220)年までには全て忠季に返されている。翌年に承久の乱が起こると,忠季は幕府方として合戦に参加し,宇治橋の合戦で戦死した。甥の島津忠時が若狭国守護職を継ぎ,子らが地頭職の一部を受け継いだ。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若狭忠季」の解説

若狭忠季 わかさ-ただすえ

?-1221 鎌倉時代の武将。
島津家系図では源頼朝の庶子で島津忠久の弟とある。建久7年若狭(福井県)の守護および遠敷(おにゅう)・三方(みかた)両郡の総地頭となる。承久(じょうきゅう)の乱に出陣し,承久3年6月14日宇治川の戦いで討ち死に。別姓に津々見。通称次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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