朝日日本歴史人物事典 「茂木惣兵衛(初代)」の解説
茂木惣兵衛(初代)
生年:文政10.10.20(1827.12.8)
明治期の有力な横浜生糸売込商。上野国群馬郡高崎(高崎市)の質商に生まれる。幼名は惣次郎。実家は弟に継がせ,地元で絹・生糸の取引を行っていたが,安政6(1859)年,開港まもない横浜の売込問屋野沢庄三郎店に入って活躍した。文久1(1861)年,庄三郎が没すると惣兵衛は野沢屋の暖簾を譲り受けて独立。以後,茂木家は原家と並ぶトップクラスの横浜生糸売込問屋に成長していった。惣兵衛はまた横浜為替会社,第二国立銀行,第七十四国立銀行などの頭取,副頭取も務めた。若いときから「能く積んで復た能く散じ」たといわれ,のちにも営業利益を各方面に盛んに寄付したことが知られている。晩年,隠居して保平と改称し,長女の婿養子とした甥の保次郎が2代惣兵衛となり,初代没後,家督を引き継いだ。しかし2代惣兵衛は病弱のため,初代の次女の婿養子となった2代保平(名古屋の豪商滝定助の次男泰次郎)が営業を統括した。大正1(1912)年には2代惣兵衛,2代保平が共に没し,2代保平の嫡男良太郎が家督を継ぎ,3代惣兵衛となった。茂木家は生糸売込業のほか輸出業などにも事業を拡大していったが,大正9年恐慌により同家の事業は破綻した。<参考文献>藤本実也『開港と生糸貿易』中,広田三郎編『実業人傑伝』1巻
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報