朝日日本歴史人物事典 「茶屋四郎次郎(初代)」の解説
茶屋四郎次郎(初代)
生年:天文11(1542)
近世初頭の京都の政商。四郎次郎は京都茶屋本家の代々の名称。初代四郎次郎清延は父四郎左衛門明延,母小笠原長隆の娘とされる。本姓は中嶋氏。清延は永禄のころ(1558~70)より三河(愛知県)の徳川氏の御用商であったが,この初代の清延は徳川家康と同年齢であって,若年より三河に赴いて家康の側近に仕え,特に昵懇な関係にあった。以来,徳川氏の「上方之御買物御用」や戦陣の諸道具の調達に当たり,家康のたびたびの合戦には常に側近に供奉。天正10(1582)年の家康生涯の危機であった「伊賀越」にも,茶屋の経済力をもって助力した。その後,豊臣秀吉政権においても,上方における家康の隠密御用を務め,対朝廷工作や政治状況を三河に通報するなど政商の役割を果たした。また同16年ごろより,一時家康の近江(滋賀県)の所領の代官職を務め,一方京都の町人頭として町方を統制したり,江戸の町割に関与するなど,重要かつ特殊な家臣であった。<参考文献>「茶屋文書」(京都市茶屋武郎氏蔵),中田易直「茶屋四郎次郎由緒考」(『歴史地理』87巻1・2号),同「豪商茶屋と三井」(『人物日本の歴史』8巻)
(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報