荏柄天神社(読み)エガラテンジンシャ

デジタル大辞泉 「荏柄天神社」の意味・読み・例文・類語

えがら‐てんじんしゃ【荏柄天神社】

神奈川県鎌倉市二階堂にある神社祭神菅原道真。「荏柄天神縁起」は、この社に伝来したもの。荏柄の天神

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日本歴史地名大系 「荏柄天神社」の解説

荏柄天神社
えがらてんじんしや

[現在地名]鎌倉市二階堂

鎌倉宮の西方、北側を荏柄山の森に囲まれた石段上の山腹鎮座する。祭神は菅原道真、相殿に八雲大神・熊野三柱神を祀る。旧村社。福岡県太宰府だざいふ・京都市北野きたのとならび三天神と称される。勧請年月は未詳だが、社蔵の荏柄山天満宮縁起によれば、長治元年(一一〇四)八月天神尊形画像軸が当地に降臨、里民が堀河天皇へ奉斎し社殿が建立されたと伝え、後に源頼朝が大倉おおくらに館造営の際、鬼門守護神として崇敬したという。

吾妻鏡」によると建仁二年(一二〇二)九月一一日、将軍頼家は当社の祭(「風土記稿」は道真三百年忌という)に大江広元を奉幣使として派遣、建保元年(一二一三)二月二五日・二六日条には和田氏の乱に荷担した罪で捕らえられた渋河兼守が和歌一〇首を当社に献じ、それを読んだ将軍実朝が称賛し特赦があったと伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荏柄天神社」の意味・わかりやすい解説

荏柄天神社
えがらてんじんじゃ

神奈川県鎌倉市二階堂に鎮座。祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)。1104年(長治1)8月の創立と伝えられる。源頼朝(よりとも)が鎌倉・大蔵の地に幕府を開いたとき、当社が鬼門の方位にあたるため、その守護神として尊崇し、社殿を造立した。以来、武家の信仰厚く、のち豊臣(とよとみ)秀吉徳川家康に命じて社殿の修造を行った。明治の神仏分離令により別当が去ると一時荒廃したが、1873年(明治6)村社に列した。日本三天神の一社とされ、太宰府(だざいふ)天満宮、北野天満宮とともに学問の神として崇(あが)められている。社宝には、木造菅公坐像(ざぞう)1体、同立像1体、菅公画像、縁起、古文書などがある。

[岡田荘司]

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