世界大百科事典(旧版)内の荒野荘の言及
【鹿田荘】より
…鹿田荘は港をもち,998年(長徳4)には荘内の梶取佐伯吉永が美作の米186石と塩を積んで秋篠寺に運ぶ途中,摂津国武庫郡沖で難破し,船と積荷を長渚浜の住人らに奪われた記録もある。鹿田河(今の旭川)を隔てた東岸には春日社領荒野荘があり,1300年(正安2)の荒野荘開発のさいの絵図の一部が描かれているが,それには当荘に民屋が建ち並んでいたこと,市(いち)があったことが記されている。室町時代になると,松田,田所,平井氏らの在地武士の侵略に苦しみ,やがて松田氏の代官請所となって本家職をもつ摂関家,領家職をもつ興福寺の支配は有名無実化した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」