菅田庵(読み)かんでんあん

日本歴史地名大系 「菅田庵」の解説

菅田庵
かんでんあん

[現在地名]松江市菅田町

島根大学北西の丘陵上、旧有沢ありさわ山荘内にある茶室。菅田庵および向月こうげつ(附御風呂屋)は国指定重要文化財で、一般にこれらを菅田庵とよぶ。付近一帯は国指定史跡及び名勝松江藩の松平家初代藩主直政は家老有沢直玄(初代)にこの地を与え、直玄は山荘を営んだという。寛政二年(一七九〇)から同四年にかけて国家老有沢弌善は藩主松平治郷(不昧)の指導を受け、治郷好みの茶室菅田庵を建て、向月亭も同時に建てられたとみられる。建物は茅葺入母屋造で、破風に治郷筆の丸陶額「菅田庵」が掲げられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「菅田庵」の解説

かんでんあん【菅田庵】


島根県松江市菅田町にある茶室。旧松江藩家老、有沢家の山荘に建つ茶室である。1792年(寛政4)ころに、茶人・文化人として知られる7代藩主松平治郷(はるさと)(不昧(ふまい))の指示で、茅葺き入り母屋造りの菅田庵と、蒸し風呂式の御風呂屋(おふろや)が建てられた。菅田庵に隣接した向月(こうげつ)亭と庭は、治郷の弟で当代一流の風流人と称された衍親(のぶちか)(雪川(せっせん))の設計による。これら3棟などを含めて、一般に菅田庵と呼ばれている。各建物や草木飛び石などの配置、御風呂屋に待合を兼ねさせる構想など、茶道をきわめた不昧ならではの風雅な趣のある名席となっている。また、南東に開けた立地で、大橋川から大山(だいせん)まで一望できる。1928年(昭和3)に国の史跡および名勝に指定された。また、3棟は国の重要文化財にも指定されている。JR山陰本線松江駅から市営バス「菅田菴入口」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

百科事典マイペディア 「菅田庵」の意味・わかりやすい解説

菅田庵【かんでんあん】

松江市菅田町の有沢家の山荘にある茶室。〈すがたあん〉とも読む。1790年ころ松平不昧(ふまい)の指図(さしず)によって造られたもので,一畳台目中板で炉は隅切り。のち不昧の弟の瓢庵により書院向月亭とその庭が造られた。低い刈込垣で囲まれた平庭に砂利を敷きつめた清楚な庭で,太い青竹で霰(あられ)石を囲った延段(のべだん)は有名。
→関連項目松江[市]

菅田庵【すがたあん】

菅田庵(かんでんあん)

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世界大百科事典(旧版)内の菅田庵の言及

【茶室】より

…飛濤亭(同前)は光格天皇遺愛の席と伝え,江戸時代末期の貴族の好みの茶屋の実例で,わびの手法が遊びの意匠に利用されている。菅田庵(かんでんあん)(松江市,菅田庵)は松平不昧の好みになり,通例の構えにこだわらない自由な構えが創造されている。その他のおもな遺構に憶昔席(いくじやくのせき)(京都市,重要文化財),稲荷大社御茶屋(京都市,重要文化財),玉林院霞床席(かすみどこのせき)・南明庵(京都市,重要文化財),高台寺傘亭(かさてい∥からかさてい)・時雨亭(しぐれてい)(京都市,重要文化財),聚光院閑隠席・桝床席(ますどこのせき)(京都市,重要文化財),裏千家寒雲亭・咄々斎(とつとつさい)・抛筌斎(ほうせんさい)・無色軒(むしきけん)(京都市,重要文化財),有沢山荘向月亭(こうげつてい)(松江市,重要文化財),南禅寺金地院八窓席(はつそうのせき)(京都市,重要文化財),水無瀬神宮灯心亭(大阪府,重要文化財),孤篷庵山雲床(さんうんじよう)・直入軒(じきにゆうけん)(京都市,重要文化財),曼殊院八窓席(京都市,重要文化財),慈光院茶室(大和郡山市,重要文化財),三渓園春草廬(しゆんそうろ)・聴秋閣(横浜市,重要文化財),西芳寺湘南亭(京都市,重要文化財),成巽閣(せいそんかく)清香軒(金沢市,重要文化財)などがある。…

※「菅田庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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