菅野序遊(初代)(読み)すがの・じょゆう

朝日日本歴史人物事典 「菅野序遊(初代)」の解説

菅野序遊(初代)

没年:文政6.12.12(1824.1.12)
生年:宝暦11(1761)
江戸中・後期,一中節中興の祖。江戸吉原の茶屋の生まれ。はじめ河東節三味線方となり,3代目山彦新次郎を名乗る。寛政初年に5代目都一中の浄瑠璃を聞いて一中節に転向,菅野序遊を名乗る。5代目都一中と協力して「松襲」「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲近い新曲を作り,「信田妻」「競牡丹」「小町少将」などの古典曲を復活させた。本業のほかに山田検校に箏の奥許を受け,染太夫について義太夫200段を学んだ(『一中譜史』)という。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅野序遊(初代)」の解説

菅野序遊(初代) すがの-じょゆう

1761-1824* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
宝暦11年生まれ。河東(かとう)節の三味線方から5代都太夫一中(みやこだゆう-いっちゅう)の三味線方となり,一中節の再興尽力。新曲は40曲におよぶ。義太夫節,長唄,箏曲(そうきょく)にも精通。文政6年12月12日死去。63歳。江戸出身。前名は山彦新次郎(3代)。代表曲に「廓(くるわ)の寿」「鉢の木」「松襲(まつがさね)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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